深センものがたり 第42回

2022/02/02

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深南大道,問わず語り その二
※問わず語りとは、誰かに求められた訳でもないのに、勝手に語ることである。

前回に引き続き、深センの中心をつなぐ深南大道の歴史を”問わず語り“させていただく。

1989年に筆者が初めて出会ったこの道路の90年以降の歴史である。スクリーンショット (408)

91年、深セン市は福田区上海賓館から南頭までの19kmにわたる延長を決定。これにより、錦繍民俗文化村、華僑城、深セン大学、科学技術園、そして15世紀の歴史を持つ南頭古城など観光地への交通が便利になる。

96年、羅湖の地王ビル竣工
深セン経済発展の象徴として建設された地王ビル(深南東路、解放路、宝安南路が交差する三角地帯に位置)。当時は中国が誇るアジア一(世界4位)の高層ビルで、高さは383·95m。地王ビルの信光広場はオフィスビル、サービスアパートメント、ショッピングモールの3つの部分から構成。スクリーンショット (411)
69階建てのオフィスビルの設計は、中世紀欧州のデザインと中国古代文化の神髄が融合したものだ。その幅と高さの比率1:9は、世界の超高層ビルの中でも最高記録であった。
西側に建設された33階建てのサービスアパートメントには空中プール、吹き抜け空間は幅25m、高さ20m、上下に9階から16階まで伸びる。それらは当時最も注目された先鋭的デザインであった。
97年開業のショッピングモールのデザインは、中央エントランスに5階建ての吹き抜けを設け、現在の中国各都市モールのモデルとされている。スクリーンショット (412)
この地王ビルは日本ゼネコン大手の熊谷組を中心に建設施工されたのである。

96年末、深南大道の中央分離帯に植物が植えられた。

97年、全線をデザイン改造することを決定し、上海賓館から西に向かう6車線が8車線に広がり、美しい通りが深セン人の目の前に出現した。

スクリーンショット (407)2002年、福田区と南山区を隔てていた泥沼と河と溝が、浜海通りとつながる華僑城東路となり、泥沼地区の歴史を終えた。
(深圳の”圳“とは、客家語で”溝“を指す。昔から深い溝が多かったため名付けられた)
( 当時は歩道橋の欄干がたまに盗まれて、歩行にも危険だった)

04年12月末、ほぼ深南大道の地下を貫く深セン地下鉄1号線開通。

06年9月、深南大道の改造工事が着工された。質の良いアスファルトの材料がシンガポールから輸入され、少なくとも15年は再修繕しなくてもよくなったそうだ。
(だから15年目の現在、大掛かりな道路工事が多いのである)スクリーンショット (410)

11年、羅湖区の深南東路に京基100が竣工。(どこまで高さを望むのか…)

14年、改善工事が福田区香梅路から羅湖区紅嶺まで実施。

17年1月、香蜜湖の立体交差が開通し、北部に並行している北環道路や南部の海岸沿いをはしる浜海大道への流動効果によって、深南中路の慢性的渋滞を減少させる。
スクリーンショット (413)現在の深南大道は、幅広の道路に車の流れが絶えず、周囲に高層ビルがそびえ立つのが特徴とされているが、筆者が最も好きなのは、夜の光景である。
歩道橋から眺める夜景は、ネオンを輝かせてそびえたつ摩天楼を従え、世界に類をみないスピードで発展したこの街を堂々と支えてきた象徴である。


宮城 紀生深セン在住20年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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