深センものがたり 第33回

2021/03/31

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〜 深センの客家人 〜

 客家人(客家語ハッカ)とは、北宋時代(10世紀後半~12世紀前半)に北方系の遊牧民に征服された華北地方から長い年月をかけて江南地域へ移住するが、そこでも戦乱が始まり、更に南下した福建省や広東省でも戦いに巻き込まれたため、一部の民は広西省や四川省、台湾や東南アジアへ移住を続けた漢民族である。主に客家語(唐宋時代の漢民族語)を話す。

 1898

1898年、龍華の客家村人

 

 1970年代の深セン市人口約30万人のほとんどが客家人だったと言われている。現在でも本来の深セン住民(各地からの移民以外)の約65%が客家人とのこと。龍崗区、羅湖区、南山区、宝安区など深セン市の広い範囲に長年住んでいる。深センに住む筆者の中国人知人の約30%強は客家人である(なんと3人に1人)。

 昔の深センは湿地帯のため多くの沼地が存在し、いたるところに深い溝があった。深い溝は客家語で“深圳(Shen zhen)”と呼ばれ、史籍では1410年に登場している。

 1980年代深圳深港分界河深圳河

 

 「土楼(どろう)」と呼ばれる独特の集合住宅は、福建省から梅州にかけての客家人の住まいとして有名である。多くの家族が住める土楼の特徴は、外部の敵が容易に内部へ侵入できない構造を持っており、且つ、一族家族を守るためにどうしても戦う必要になった時は、素晴らしい砦として活用できる仕組みになっている。

 土楼

 

 アンディ・ラウ(劉徳華)主演の映画「墨攻」の墨家人のモデルは客家人との噂であるが、この砦に敵が侵入したシーンではあらゆる仕掛けで10万人の敵を圧倒した。

 

 ※土楼:円形のものは円楼、正方形など四角形のものは方楼と呼ぶ。

 土楼内部1970年代客家人買物街

1970年代、客家人のショッピング

 

 漢族に属す客家人ではあるが、その性格は勤勉実直であり、仲間を守る団結心や反骨心も強く、教育にもとても熱心な人たち。近代中国史で名を残した辛亥革命の孫文や太平天国の洪秀全も客家人。また、中国の実力者鄧小平、シンガポール独立の英雄リー・クァンユー、台湾の李登輝、タイガーバームの創始者胡文虎も客家出身である。

 ちなみに、筆者も大好物である客家料理も有名で、三杯鴨は最高に美味い。

 三杯鴨

三杯鴨

 

客家関連の文献で驚くような以下の内容が…

 『日本語の漢字の読みは、飛鳥時代に中国南北朝時代の呉音、奈良時代に唐からの漢音、平安時代に南宋からの伝唐宋が伝わった。これらは中国の中原漢語の古音であるが、客家の祖先も中原漢語の古音を南方に持ち込み(言語忠誠)、その発音を保持したが、中原地区は、北方民族の侵入により音韻は変化した。そのため現在の語の漢字の発音は日本の読み方と全くかけ離れてしまった。ところが、客家はもとの古音を残すため、日本の漢字の音と同じが多い。「家」は中国普通語は“jia”だが、客家語と日本語は“ka”。数字の2は普通語は“er”だが、客家語と日本語は“ni”。

 漢字も中国では大きく変化し、日本語で木は中国では樹、来年は明年、狭いは窄、行くは走、食べるは吃だが、客家語は日本語と同じ漢字を今でも使っている。』

 なんと、日本語の語源は客家語だったようである。

 1908年深圳葵涌镇 典型的客家风格建筑

1908年、葵涌鎮客家集落

 


宮城 紀生深セン在住20年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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