日本語で相談できる銅鑼湾のお店「松影眼鏡」

2018/07/25

IMG_8017

香港在住歴26年の松影さんが長年務めてきたパリミキ香港より独立して、今年6月に「松影眼鏡」としてオープン。メガネ・コンタクトレンズの専門分野で32年間培ってきた松影さんのパリミキ時代の話や独立に至る話、今後のビジョンについてお伺いしました。

 

まず最初にパリミキへ入社した経緯について教えてください。

九州にある大学で教職課程を履修した後、就職活動を行っていました。在学当時、私が在籍していたサークルの先輩がパリミキに入社したことがきっかけで私も1986年、パリミキへ入社することになりました。在学した大学は大分にありましたが、愛媛出身のため、研修後は出身地の近く、高知県にある店舗へ配属されました。その後、高知県で約5年間勤務しました。

 

当時、パリミキで働いていた頃、メガネをかけているとお客様の気持ちを汲み取れるという販売員の方はいましたか?

メガネ屋のスタッフはメガネをかけなければならないという雰囲気はありましたね。お客さまのメガネに関するお悩みを理解するのには、実際にメガネをかけてみないと分からない…と。もちろん私も先輩社員に言われて視力も悪くないのにメガネを2本作りました。ただ、どこかでそういった考えには抵抗があり、メガネをかけなくてもお客さまのお話をじっくりお伺いすることで理解できるという想いを持っていました。通常、メガネをかけているスタッフは接客の際、自分の感覚や経験を元に判断して対応したり説明したりします。そこがメガネ経験者の落とし穴だと思います。私はお客さまの言葉を丁寧にお聞きして理解し、視力低下、(鼻や耳のあたりが)痛くなる原因や現象を言葉でロジカルに説明してお客さまのご要望を具現化することが大切だと思います。

 

元々、海外志向が強かったのですか?

80年代以降、パリミキがアジアへの出店を加速している時期、マレーシア、タイ、台湾など、海外進出の動きがありました。丁度、社内でインターナショナル社員第一期の募集がありまして私も先輩社員と一緒に応募しました。私は海外へ一度も行ったことはなかったのですが、当時とにかく高知を出たい、もっと大きな場所で働いてみたいという想いが強くあったことは記憶しています。

 

インターナショナル社員になるための選考基準は厳しかったのでしょうか?

初めてのインターナショナル社員選考ということもあり会社としても色々と手探りだったんでしょうね。当時のパリミキは型にはまった社員よりも個性的で一匹狼的な社員が活躍できるようなところがありました。私たち一期生に出題された筆記試験では、もちろん目やメガネに関する基礎知識の習得をはじめ語学力や一般常識を問われた内容でしたが、どちらかというと個人的な資質や人柄、海外での適応能力を重視していたようで、社長自らが面接して選考していました。もともと英語は苦手で採用後は英語研修で3ヶ月に一度、東京へ上京していましたが英語力はそこまで身につかなかったです(笑)。

 

海外の地を初めて踏んだのはいつ頃ですか?

私が初めて海外へ行ったのは1990年11月でした。パリミキの社員旅行でシンガポールと香港のいづれかを選択できたので、私は迷うことなく香港を選びました。そしてその後、人事部から香港駐在の内示を受けました。

 

赴任前の香港のイメージについて教えてください。

当時、香港は英国の植民地として発展していて、多くの日本人観光客が観光と買物に訪れていました。ジャッキー・チェンの映画は良くテレビで見てました。そんな映画やテレビドラマで見たイメージを持っていました。来てみてすごい都会で、人が多いのにびっくりした記憶があります。また香港全体に活気があって、日本のようにしがらみや固定観念に縛られずみんな自由で元気なところも好きになりました。

 

赴任した当時のパリミキ香港の状況について教えて下さい。

パリミキは1979年に香港に出店していて赴任した私を含め3人の日本人スタッフがいたわけですが・・・当時は尖沙咀(チムシャーツイ)にあるミラ香港(旧:ミラマーホテル)と銅鑼湾(コーズウェイベイ)にある旧松坂屋に2店舗構えていました。客層で言うと、80年代後半はミラ香港は日本からの訪港観光客がメイン、旧松坂屋は香港在住の日本人がメインでした。半年間、ミラ香港で働いた後、旧松坂屋へ異動になりました。ミラ香港は日本人2名、旧松坂屋は日本人1名体制でしたが、異動後、日本人スタッフは私一人という環境の中で店舗を任せられる大役をいただきました。

 

来港当初から今日に至るまでお客様が定着するまで続けてきたこと、心がけてきたことはありますか?

一番大切なポイントは、お客さまの言葉にしっかりと耳を傾け、納得いただくまで時間をかけて説明することではないでしょうか。お客さまがメガネやコンタクトが合わないとお持込になる場合、お客さまが期待するメガネ・コンタクトへのイメージと出来上がった物とにズレが生じてクレームになっているケースが多く見受けられます。作る際のお店側の説明不足によるものです。
お客さまのお悩みやご希望をしっかりとお伺いし、メガネ・コンタクトで出来ること、出来ないことをはっきりとお伝えするようにしています。私はカウンセリングを一番の大切な仕事にしています。カウンセリングを行いながら目的別のご使用シーンに応じた見え方を提案し、(度数を)上げることで発生するリスクやデメリットについてもきちんと説明するようにしています。1対1でじっくり時間をかけて日本語で納得いただくまで丁寧に説明を行ってきたことが、最終的にお客さまのご満足となり定着につながっていたのではないかと考えています。

 

パリミキ香港で長年お勤めになられたのち、店舗を引き継ぐ形で今年6月に「松影眼鏡」を独立されるまでの背景について教えてください。

パリミキ香港の諸事情で店舗をクローズするということになりました。お客様から「パリミキがなくなったあとはどうするのか」「パリミキがなくなったら困る」などのご質問やご要望が数多く寄せられました。店舗をクローズしないで私自身が転勤という形であれば、独立はしなかったと思いますが、クローズすることで今までご利用いただいていたお客様にご迷惑をおかけしてしまういうこともありました。今後について家族や将来のことも含めて色々悩み考えましたが、今まで一人で店舗を任されてきた経験や実績、最終的には日本人、香港人にかかわらずパリミキを長年ご利用いただいていたお客さまから「応援するよ」と言っていただき「香港でがんばろう」と決めました。

 

今後のビジョンなどをお聞かせください。

香港でメガネ・コンタクトを作りたくても「香港でも処方せんが必要?」「検査は日本と同じ?」とか環境や習慣の違いからよくわからないことだらけ。大切な目のことですから不安になるのも当然です。当店ではそんな初めてのお客さまが安心してメガネ・コンタクト作りができるお店を目指しています。個人店だからこそできる柔軟な対応。すべてのお客さまを私が責任を持って最後までご対応いたしますので、細かなご要望にもお応えすることができます。香港で必要とされる、初めてでも安心できる日本人のためのメガネ・コンタクトレンズ専門店になればと考えています。

 

どのようなお客様にご来店いただきたいですか?

「店内のがやがや感や他のお客が気になる」「落ち着いた環境で目の悩みを聞いて欲しい」「検査している所を他人に見られたくない」そんなお客さまに満足いただけるよう、当店ではお客さまのプライベートを確保しゆっくりお過ごしいただけるよう個室になっています。一対一で気兼ねなくお話ができ、日本語で相談できるお店です。プロとしてお客さまの言葉を理解しご要望にお応えできる最高のメガネ・コンタクトレンズをお作りすることをお約束します。

 


松影眼鏡
住所:Rm. 1635, 16/F., Radio City, 505 Hennessy Rd., CWB
電話:(852)6048-4436(マツカゲ)
時間:10:00~19:00
ウェブ:https://contactlens-hk.com/
フェイスブック:松影眼鏡-matsukage optical

Pocket
LINEで送る