花様方言「香港」という地名の由来2

2014/05/14

Vol.51<阿群帯路(阿群の道案内)>阿群帯路(阿群の道案内

 

前回に引き続き「香港」の由来に関して…ですが、その前に、唐突ですが「サカガウィア」という人物をご存知でしょうか。アメリカ大陸を陸路で初めて横断して太平洋側まで到達したルイス・クラーク探検隊に、道案内および通訳として同行したアメリカ先住民(インディアン)の女性です。合衆国建国の歴史を語るにおいてたいへん重要とされる人物で、平均的なアメリカ人なら必ず知っています。博物館の展示品が真夜中に動き回るとっても楽しい映画「ナイト・ミュージアム」を見た人なら、アメリカ人でなくとも印象に残ったはずです。そう、あの映画の中に出てくる女性のインディアンがサカガウィアです。
実は香港の歴史にも、サカガウィアにそっくりな人物が登場します。イギリス人が香港島に上陸したときに道案内をしたという現地人の女性「阿群(アクァン)」。サカガウィアは1999年にアメリカの1ドルコインの肖像になりましたが、香港の阿群はもっとすごくて、英領香港成立直後の1843年にはすでに香港の徽章にデザインされ、1876年から1959年にかけては香港の旗にも描かれていました。自分たちに協力した先住民を敬うのがアングロサクソンのしきたりかいな、といぶかりたくなるほど、アメリカ人とイギリス人は同じようにサカガウィアと阿群をまつりあげているのです。
この二人の女性は、いささか伝説めいているという点でも類似しています。サカガウィアは、多くのアメリカ人はむしろ「サカジャウィーア」のように発音しますが、つづりが多々あって一定せず、名前の読み方が史料から確定できません。阿群に関しては実は存在そのものがいくぶん怪しいのですが、「群帯路」という石碑がみつかっているため、いちおう史実とされています。阿群もやはり言語に関する方面から関心を持たれていて、懸案の「ホンコン」という地名の由来にかかわってきます。
英語の「Hong Kong」は、阿群の発音をうつしたものだ、という説があります。阿群は香港島の陸地を案内したのだから客家人であろうと考えられますが、そうであれば、船上民の蜑家(タンカー)(水上人)の発音をうつしたとする説とは矛盾します。島の南側、アバディーンの漢語名「香港仔」は「リトル香港」の意味ですが、では「香港」の本体はどこかというと、海洋公園のそばの黄竹坑にあった、現在はあとかたも残っていない「香港村」。しかし明代の史料「粵大記」に出てくる「香港」は現在の香港島とは別の島である鴨脷洲(アープレイチャウ)で、鴨脷洲ならまさにアバディーンの対岸なのでやっぱり蜑家かなあ…と、結局真相は迷宮入りなのです。そもそも200年前の蜑家の言葉の実態を知ることは不可能です。元船上民のご老人方の言葉は地域によって様々。若い世代にはほとんど伝わっていません。アメリカインディアンの言語同様、近い将来、消えゆく運命です。「ホンコン」の由来の謎を道連れにして。
ただ、言えそうなことは、英語の「Hong Kong」は単に広東語の「香港」を訳したものではなさそうだということ。「Hong Kong」も「香港」も、客家語なのか蜑家の方言なのか、あるいはその両方なのかはわかりませんが、ともかくいずれも先住民の言葉に当て字をしたものらしいということ。定着性の高い語というのはえてして起源不明のものが多いです。「King Kong」(キングコング)もまたしかり。意味不明です。こういう語呂のいい言葉は人々に受け入れられやすい代わりに、その語呂合わせの過程で語源があいまいになってしまうのです。蜑家の研究は、文化人類学の方面ではなかなか盛んで、日本でも岩波新書の「香港の水上居民」(可児弘明)が1970年に出ています。この本は、1979年に話題作「香港・旅の雑学ノート」(山口文憲)が出るまで、観光ガイド類を除けば事実上日本で唯一の香港関連書籍でした。
「ナイト・ミュージアム」およびその「2」では、サカガウィアの謎がちゃんと残るようにオツな演出がなされています。香港歴史博物館の展示品も夜中に動いたらさぞ面白かろうと思うのですが、とりわけ地階フロアの虎にはぜひ暴れまわってほしいですね。(香港にも昔は虎がいたのです。)日本の縄文土器に似た文様の石刻を残した先史時代の狩猟民たちには、もっともっと多くの古代アートを期待したいです。石刻=ペトログリフは現在、香港域内の8か所でみつかっています。ひとつはまさに以前香港村のあった黄竹坑で発見されていて、あのあたりが古代から人類が住むのに適した場所であったことが想像できます。今や華やかなりしはセントラルなど香港島の北側ですが、実はのどかな南海岸こそが、香港の揺籃の地であるのです。

大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

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