花様方言 Vol. 180<元旦と元日>

2019/12/25

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 インドではクリスマスの挨拶が「ハッピー・クリスマス」だそうだ。これは主にイギリスとアイルランドでよく使われる、と言われる。「Merry」という英単語は18世紀まではよく使われていたが、20世紀に入ってから使用頻度が下降の一途をたどっていることが統計からわかる。エリザベス女王も毎年クリスマスの挨拶に「Happy Christmas」と言い、ビクトリア王朝(19世紀)の貴族は当時すでに「Merry」を使っていなかった。つまり旧英領だったインドにはイギリス式の言い方が伝わっているわけだが、イギリス国内に限って言えば「Happy~」は上流階級の言い方、「Merry~」は庶民の言い方、となる。クリスマスがメリーで新年はハッピーという言い分けが固定化したのは19世紀のクリスマスキャロル♪We wishyou a merry Christmas, and a happy new year~で、この伝統は庶民が守ってきた。で、アメリカにはこの庶民タイプの「Merry~」が伝わり、日本にはアメリカから「Merry~」が伝わった。香港はアメリカ式あるいはイギリス庶民式の「Merry~」が主だが、「Happy~」を使っても変だと思われることはない、と思う。同様に「階級」が生んだ言葉の違いに日本語の「ありがとう」(皇族・貴族)、「おおきに」(京都の町方)、「かたじけない」(武士など)がある。明治以降、東京の庶民のあいだに定着したのが京都上流社会の「ありがとう」で、まさにインド人が英国貴族のハッピー・クリスマスを使うのと同じ構図である。
721_godaigo photo では「元旦」と「元日」はどう違うのか。Merry~、Happy~のように二つあると、その違いは何かと、誰かが必ず疑問を持つ。「元旦」とは元日の朝のこと、と説明されることが増えている。辞書にもそう載っていて、「元日の意味で使うのは誤りだが、元日と同じように使う人も多い」とも書いてある。対して和英辞典は素直なものだ。元旦「the first day of the year」と載っている。元旦=元日ということだ。【年賀状には「元旦」と書くのが一般的】という説明もあった。言葉が実際にどう使われているかを客観的に観察しようという姿勢が、よろしい。日本の国語辞典がまだ発展途上だったころ、日本語の意味を研究するのに、外国人が作った日本語辞書を徹底的に調べた学者がいた。その精神を重んじて、こう書きたくなる。元旦【元日の意味で使われているが、「元日の朝」と説明する人もいる。国語辞典には「元日の朝」と書くのが一般的】。
現在、中華圏で使われる「元旦」は新暦の1月1日のことで、朝の意味はない。「旦」は、「一」=「地」(地平線)の上に顔を出した「日」である、と『説文解字』に書いてあるように本来は「朝」の意味だった。現在の中国語には「元日」という言い方はないが、古典には出てくる。日本にも古くから「元日」はあった。明治~昭和初期の文豪たちの文では、元旦と元日が同じ意味の場合もあるし、「朝」と「1日」の意味で使い分けている場合もある。「元旦の朝に~」などと書いてあれば、この作家はまぎれもなく元旦=元日の意味で使っていることになる。だが問題のカギは、中国の古典でも日本の文豪たちでもない。戦後日本の漢字政策という、もっと身近なところにあるはずだ。
 終戦の翌年、漢字制限を目的とした当用漢字が定められ、この1850字の中に「旦」は入ってなかった。よって、その翌々年に定められた祝日法では「元旦」という字を使うことができず「元日」にするしかなかった。なぜ「旦」が当用漢字から漏れたのかというと、この字が戦前の教育勅語の中に、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、と出てくるからだ。選考委員たちはこれに連想が行く「旦」に嫌悪感があった。対して、日本国憲法に出てくる字は全て採用した。だから当用漢字には「奴隷」とか「詔勅」のような使用頻度の低い字が含まれていて、「旦」のような簡単な字が入ってない。「旦」がないため、「一旦停止」は「一たん停止」と書くか、「一時停止」と改められた。
 当用漢字には反対者も多かった。漢字の制限は表現の自由を奪う、など様々な理由で。だから多くの知識人は反発して、当用漢字でない字も使い続けた。年賀状には「元旦」と書いた。当用漢字は結局破綻して1981年に廃止され、常用漢字に変わった。字数も1945字に増え、方針が「制限」ではなく「目安」になった。個々人の表記や芸術などは対象外であると謳われ、よって堂々と「元旦」が使えるようになった。そして2010年、まだ、たった10年前のことだ、常用漢字は2136字に増やされ、「旦」がついに採用された。今なら祝日法の「元日」も、その気になれば「元旦」と改正することができる。実際、以前の法律では「覚せい剤」だったものが新しい条文では「覚醒剤」となっている。
 戦前の法律では、意外にも元旦/元日に関する決まりがなかった。1月1日は習慣上、なんとなく休みの日、だったのだ。だから「元日」だったのか「元旦」だったのかよくわからない。が、おそらく昭和初期には「元旦」が優勢だったのではないだろうか。マックvs.マクド戦争が本田選手の発言をきっかけに火が付いたように、「元旦は朝」論は、「旦」が常用漢字になった2010年を機に大きく燃え出したように思える。「元日」との違いを説くあまり、「元旦」を「朝」の意味へと回帰させる過剰修正の圧力が生じている。過剰修正(ハイパーコレクション)は通常、似たものへの「同化」が力として働くが、「元旦」は逆に、「元日」からの「異化」が求められている。
 香港の漢語学者、布裕民さんの著書『有趣的漢字②』に「旦」の項目があって、海から太陽が昇ったところを描いた挿絵が付いている。香港人の持つ初日の出のイメージは、海洋国である日本と同じだ。「旦」の下の横棒「一」が「地平線」ではなく水平線に見える。

大沢ぴかぴ

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