花様方言 Vol. 172 <数と人称とエスペラント>

2019/08/21

エスペラントは人工の言語である。世界の共通語にするために作られた。いまだ共通語になってないが、支持者や愛好家は世界各地にいる。日本なら、東京など大都市を除けば岩手県に多い。新渡戸稲造や宮沢賢治などの先人がいたからだ。創始者であるユダヤ系ポーランド人の医者ザメンホフはラテン語やフランス語や英語などを学んだうえで、外国語の習得で厄介なのは複雑な文法とその「不規則性」だと考えた。それで、不規則変化が一切ない人工語エスペラントを作った。エスペラントはすべての名詞の語尾が「-o」である。形容詞はすべて「-a」、副詞はすべて「-e」、と決まっていて例外がない。動詞の語尾は「-as」が現在形、「-is」が過去形、「-os」が未来形。人称変化はない。先の全国学力テストの英語で、She lives in Rome.と3単現の「-s」を付けることのできた中3の生徒はたったの33.8%、小学からの正式な英語教育を経験した初の学年がこの結果で、日本の教育界に衝撃が走った。 ザメンホフの志の通り、世界の共通語がエスペラントになっていたら、こういう余計な(?)「-s」は付けなくて済むので、残る66.2%の生徒たちももっと正解していたはずだ。​

『1984』(1Q84ではない)の漢語訳の新版が今年、香港の出版社から出た。香港ではすでに版権が切れているので、安い。この話の中の未来の世界では、英語が人工的に改造されて、一切の不規則変化がない新しい英語になる。think→thought、steal→stole、のような不規則な過去形は廃止して、thinked、stealed、と「-ed」で統一する。man→men、ox→oxen、life→lives、などの複数形は、mans、oxes、lifes、と、すべて「-(e)s」だけにする、といった具合。発想はエスペラントと同じだ。この方法によっても日本の66.2%の中学生たちは救済される。​

『1984』の「新しい英語」では、All men are equal.は、All mans are equal.となる。しかし、これでも日本の中学生たち(何度も引きあいに出してごめんね)は納得いかないはずだ。不規則であれ規則的であれ、複数形があること自体が負担なのである。たとえ「men」が「mans」でも「-s」を付け忘れるに決まっている。それに「is」を「are」に変える面倒も残っている。作者のオーウェルには「is/are」の統一という発想は浮かばなかったようだ。英語話者にとって複数形は、結論から言うと、まったく面倒ではないのである。面倒でないどころか、指す対象が複数のときに語を複数形にしないという発想はヨーロッパ諸語の話者にはない。その証拠にエスペラントにもしっかり複数形がある。ザメンホフの持つ言語の知識の範囲はヨーロッパ諸語に限られていた。19世紀だからやむをえない。単・複を区別しない言語がこの地球上に存在することなど知らなかったのだろうし、たとえ知っていても、単・複のない言語の話者にとって複数形がこんなにも負担になるとは夢にも思わなかったろう。以前はエスペラントを「世界語」と呼んだ。中華圏での呼び名は今もこれである。が、所詮はヨーロッパ諸語のつぎはぎであり、ヨーロッパ語圏以外の学習者にとっては高いハードルがいくつもある。​

エスペラントの複数形の語尾は「-j」(~イ)である。そして形容詞も複数形にする。白い花1輪=blanka floro、複数=blankaj floroj。エスペラントはラテン語やドイツ語やロシア語などのように対格「~を」を示す必要があって、これも同様に、形容詞にも付ける。白い花1輪を=blankan floron。したがって「複数の白い花を(買う)」のように言う場合、複数「-j」と対格「-n」の2つの語尾を、名詞と形容詞の両方に付けなければならない。blankajn florojn。これでもエスペラントを習う気になります? 英語しか知らないと何が英語の特徴なのかがわからないが、実は、形容詞に複数形がない、というのは他のヨーロッパ諸語と大きく異なる、英語の際立った特徴である。these whites flowers、とは言わないのだ。ザメンホフは英語の知識があったにもかかわらず、複数形を名詞のみならず欧州スタンダードと言わんばかり形容詞にも適用した。ヨーロッパ人にとって複数形がいかに面倒でないか、それを雄弁に物語っているのがエスペラントである。​

英語では、all men、all students、のように「all」の後ろは複数形だが、every year、every student、のように「every」の場合は単数形である。Every boy and girl knows the answer.のように名詞が2つでも「knows」と単数扱い。Every student respects his teacher.(全生徒が”彼らの”先生を尊敬する)も、単数形の主語に合わせて「his」。この手の厄介が件の「規範文法」なのだが、意味的には明らかに複数なので(それに「every student」の中に女生徒が含まれていたらなおさら)「their」としたくなるのが話し手の心理である。この葛藤(?)がまさに「文法上の性・数」と「意味上の性・数」の葛藤であり、実際こういう場合、多くの英語話者は「意味」につられて、Every student respects their teacher.と言う。Everybody goes there, doesn’t he?=不自然に感じられるが規範文法、 Everybody goes there, don’t they?=抵抗を感じない自然な文法(記述文法という)。前者の「he」は「goes」に(文法的に)一致していて、後者の「they」は「everybody」に(意味的に)一致している。​

不規則がなければ言語は覚えやすい、というザメンホフの考えはアマい。英語の3単現「-s」はすべての動詞に現れるのだから極めて規則的である。でも日本の生徒たちは付け忘れる。大したものではないと思ってるからだ。日本語話者にとっては「意味」がない。「意味」があってもなくても「文法」はある。それが言語だ。日本語の「数」関連でも、(実はいたって規則的なのだが)1本、2本、3本…の「本」が、-pon、-hon、-bon、と「無意味」な変化をして、外国人の日本語学習者たちを大いに困らせている。​

​大沢ぴかぴ​

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