花樣語言 Vol.167 <猫と獅子と水牛>

2019/06/12

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子子子子子子子子子子子子。と書いて「ねこのこ、こねこ、ししのこ、こじし」と読む。平安時代からある言葉遊びである。「子」の複数の読み方「ね(十二支)、こ、し、じ」を使っている。(「の」を書かない伝統は今も続いている。木下=きのした、山手線=やまのてせん。)しかし漢字が驚異的なのは、逆に、同音字すなわち同じ一つの音を表す字の多さだ。日本語で「し」と読む漢字は、子、市、士、詩、死、師、氏、誌、資、紙、四、支、ざっと数えただけで500はある。(500は「ざっと」数えられる数字ではなかろうが。)中国語の場合は、子、市、死、資、などが同音にならないので、日本語ほどは多くならない。が、それでも多いことに変わりはない。北京語の音節数が427、声調を考慮しても約1300として、日常使う漢字の数は5千、古典の字まで数えれば5万あるという。まさに漢字は、ごまんとある。

この特徴を使って作った中国語の言葉遊びに「施氏食獅史」(ShīShìshíshīshǐ。施氏が獅子を食べる話)というのがある。103個の「shi」の音だけでできている文語体の散文だ。「石室詩士施氏嗜獅誓食十獅氏時時適市視獅十時氏適市適十碩獅適市是時氏視是十獅恃十石矢勢使是十獅逝世氏拾是十獅屍適石室石室濕使侍試拭石室石室拭氏始試食是十獅屍食時始識是十碩獅屍實十碩石獅屍是時氏始識是事實試釋是事」(石室の詩人の施さんはライオンが好きで、10頭のライオンを食べると誓った。氏はいつも市場へライオンを見に行く。10時に氏が市場に行くと…)。シーシーシーシーシー、そり舌のシーだけがひたすら続く。声調があるので音程が上がったり下がったりする。全部シーだから当然押韻している。作者は趙元任(Y.R.Chao)、アメリカ言語学会の会長も務め、カリフォルニア大学の名誉教授だった、あまりにも凄すぎる言語学者だ。が、かなり茶目っ気もあるお方だったとうかがっている。朗読がバンクロフト図書館の録音資料室に収められていて、橋本萬太郎博士が1979年、月刊『言語』で紹介した。最近、中華圏のメディアがよく取り上げているが、孫引きの孫引きで細部が違ってたりする(大概「碩」がない。今は「shuò」と読むから)。実はこの引用も幾分心もとない。103字のはずだが104字ある。言葉遊びは言葉遊びでも伝言ゲームの様相を呈してきている。

このシーシーシーは5編からなる詩文の第1編で、第2編「ji」(無気音のチ)だけの音で67字、第3編「yi」(イ)だけの音で89字、第4編「xi」(そり舌でないシ)だけの音で40字、第5編「qi」(有気音のチ)だけの音で34字、と続く。チーチーチーチーとかイーイーイーイーである。北京語は、これらの音になる字が特に多いわけだ。ただし、こういうのが成り立つのは古文調の文語文だからであり、つまり耳で聞いただけでは中国人でも意味がわからない。漢字を見て初めて、わかる人はわかる。「施氏食獅史」は口語文なら「施先生吃獅子的故事」となろう。なんと「shi」は「施」と「獅」の二つに減ってしまう。(たまたま「事shì」が一つ加わったが。)「庭にはニワトリが二羽いる」「貴社の記者は汽車で帰社できしや」にも負けている。

香港は実は文語に強い。よく「十時」とか「十人」のように書いてあるのを見る。日本語ではこれで普通だが、中華圏ではこういうのがまさに文語なのである。会話では、10時は「十點鐘」または「十點」、10人は「十個人」のように言わないと通じない。日常会話で文語をしゃべったら変なやつだと思われるだろう(。七人制ラグビー「七人欖球」、セットメニューの「二人世界」などは可。)「獅」は、字を見れば絶対にライオンだとわかるが、耳で聞く場合には「獅子」と言わなければ通じない。言語学では、意味が通じる単位を「語」、それ未満(意味は持っているが単独では通じない)を「形態素」と呼んでいる。「獅子」が語で、「獅」は形態素。「十獅」(shíshī)は「十隻獅子」と言わなければ「実施」(shíshī)かと思われるだろう。「獅屍」は「獅子的屍體」。文語では「的」も書かない。日本語で「の」を抜くのと同じだ。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は「の」が二つも無視されている。ちなみに「王子」は王の子だが「獅子」はライオンの子にあらず。

それにしても、矢勢shǐshì、失勢shīshì、失事shīshì、事實shìshí、逝世shìshì、世事shìshì、事勢shìshì、時勢shíshì、時事shíshì、北京語は面白い。広東語ならもっと区別が明確だ。今やめっきり出番の減ったイェール式ローマ字で表してみると、十獅sahpsī、實施sahtsī、矢勢chísai、失勢sātsai、失事sātsih、事實sihsaht、逝世saihsai、世事saisih、事勢sihsai、時勢sìhsai、時事sìhsih。(-hは低い声調を表す。)入声韻尾(-p、-t、-k)が残っているのと、やたらと「a」が多くなるのが広東語の特徴だが、実に、一つも同音語になってない。「食shí」も本来入声なので、広東語では「sihk」。「食べる」が「吃」である北京語にとって「食」は語ではなく形態素なので、食物、食堂、肉食、など熟語でしか使わない。が、広東語では「食」は今なお現役の語。話し言葉でも「食」と言うのである。香港も書き言葉は基本的に北京語っぽく(?)書くわけだから、文章語では「吃」と書く。だから香港では「施先生吃獅子的故事」もまた文語なのである。広東語の口語なら「施先生食獅子嘅故事」。北京と広東では料理のみならず漢字の”食”感も違う。なお、無事解読できた方はおわかりだろうが、結局獅子は石だったので施氏は獅子を食べられない、というオチである。英語ではこういうのがある。BuffalobuffaloBuffalobuffalobuffalobuffaloBuffalobuffalo「.バッファロー(地名)のバッファローが脅すバッファローのバッファローは、バッファローのバッファローを脅す」。作者はバッファロー大学のラパポート准教授、1972年に発表して以来、言語学者たちがチョムスキー生成文法理論のおもちゃにして遊んできた。遊びは最高の学問、らしい。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

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