花樣語言 Vol.165 回文(かいぶん)

2019/05/08

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 「豆本豆」という名前の豆乳がある。香港に上場している福建省の達利食品の商品である。「熊本熊」(くまモン)にあやかったものと想像できる。ポッカサッポロは熊本県産の玉露を使った「玉露入りお茶」をくまモンの絵のペットボトルで売っているが、今、最もビジネスチャンスがあるのは「山本山」ではないだろうか。今すぐ中華圏市場に本格参入して攻勢をかけるべきだが、しかし逆に、あやかり商品と思われるかもしれない。

 くまモンが6年間も「酷MA萌」に固執して「熊本熊」を採用してこなかったのは実にもったいないことだ。「くまモンは熊ではない」という、理由にならない理由にこだわったようだが、キティちゃん(凱蒂貓、吉蒂貓)も猫ではないそうだし、山本山も山ではない。ゆるキャラは百鬼夜行のごとく数あれど、「熊本熊」のような幸運な名前になるのは他にない。妖怪は名前がすべてです、と京極夏彦氏も書いたが(ゆるキャラは妖怪じゃないんですけど)、中華圏でのくまモン人気の秘訣は「熊本熊」というこの名前にある。日本人にはその奥義がわからなかった。ヨーロッパ人にはくまモンが悪魔に見える、という報道が以前あって、「KUMAMON」がデーモンやマモン、アモン(悪魔)を連想させると解説していた。(そもそもヨーロッパ人は概してキャラクターグッズ的なものが好きではない。)中華圏で「熊」は「凶」であることに違いはないが、「熊本熊」はそれを「吉」にくつがえしてくれる名前。「豆本豆」と「山本山」は更に左右対称なので、もっと「吉」なのだ。

 バンコクにチャトチャック・マーケットというタイ最大の市場がある。漢字で書くと「翟道翟」とか「恰圖恰」。先日、香港でこの市場のイベントがあった。「市場」は広東語で「市集」とか「街市」、九龍に「街市街」という通りがある。日本には千葉県に「市川市」という、回文で且つ左右対称になる市がある。東京の町田市は以前、一部が「町田町」だった。宮城県村田町は「村田村」だった。香港ではかつて携帯電話を「大哥大」と呼んでいた。香港は携帯電話の登場が早くて、1988年、『笑っていいとも!』でタモリは「香港では歩きながら電話機持ってしゃべってる」と、その驚きを語っていた。広東語の「大哥大」はこの名前のまま中国大陸へと広まっていったが、当初30センチぐらいあった巨大な機器はひたすら小型化、イメージが合わなくなって「大哥大」の呼称は自然に消滅した。「小姐小」と呼んだ人がいたが、その後現在のスマホ「智能手機」に至るまで、これといった新たな愛称は生まれていない。

 人類が回文をたしなんで、かれこれ2千年の歴史がある。最も古いのは古代ローマのラテン語のもの。漢語でも「上海自來水來自海上」とか「上水居民居水上」とか、「竹やぶ焼けた」レベルの回文なら、考えれば考えただけ作れる。「ダンスが済んだ」「コナン変な子」「任天堂がうどん店に」。こじつけは回文の醍醐味(?)でもあるが、意味は、手を抜けば抜いただけ支離滅裂になる。上海の水道水(自來水)は海上から来るわけないし、上水(香港の新界)の居民は水上に住んでいない。任天堂はうどん店にならない。「人人為我、我為人人」は珍しくまともな意味の回文。英語なら「One For All, All For One」、単語単位の回文になっている。ラグビー界では「一人は皆のために、皆は一つの目的(トライ、勝利)のために」が正しい解釈と言っているが、「一人は皆のために、皆は一人のために」で正しい。意味的にも回帰する。これももとはラテン語で、三十年戦争が始まる1618年、プロテスタントが相互扶助をうたったものだ。スイスでは国の標語でもある。『スクールウォーズ』(198485年)で山下真司も「皆は一人のために」と言ってたと思うが、いつ誰が変えたのだろう。せっかくの回文なのに。『三銃士』だろうか。平尾誠二さんだろうか。

 漢詩の回文(迴文)はこんな感じ。小巷殘月凝天空,親人故土郷情濃。笑聲猶在空懐舊,憔心客愁満蒼穹。穹蒼満愁客心憔,舊懐空在猶聲笑,濃情郷土故人親,空天凝月殘巷小。もっともっと長いのもあるが、長さを競うなら、日本語のかな文字は強い。条件によるが、濁点を無視すれば3733文字、しなくても1551文字というのがある。全文引用したらこの原稿のワクを超えてしまう。短編小説並みだ。《「港行かない?」歴史に記す日ね。神を見た。祈りと悲歌と。晴れそうな火曜、素知らぬ顔で四方からカモメ。》と始まり《メモ。からかう。星で丘濡らし。そうよ、叶う、それは。とか、独りの痛みを見兼ね。秘する詩にし。綺麗な、貝と波。》と終わる。超前衛的。シュール。疲れるね。熊本熊、豆本豆、山本山、プチ回文には癒しがある。山本山(やまもとやま)は「まやともまや」だ、という説がある。ならば、Yamamotoyama→アマヨトママイ、という説もある。そうすると「赤坂」(Akasaka)、「裏になる」(Ura ni naru)のようなものしか成り立たなくなる。英語「Madam, I’m Adam.」「Was it a cat I saw?」のように、多くの言語ではこの条件でやっているのだ。が、驚くなかれ、ポーランド語には33千字というのがある。単語単位でも英語の17259語というのがある。ヒマならヒマなだけ回文は作れる。江戸時代、回文の和歌・俳句を千句以上作った細屋勘左衛門という俳人が仙台にいた。「みな草の名は百(はく)と知れ薬なりすぐれし徳は花の作並」「わが身かも長閑(のど)かな門の最上川」「はかなの世しばしよしばし世の中は」。森本哲郎さんの紀行文にカリフォルニアの「UKIAH」(ユカイア)という街が出てくる。後ろから読むと「俳句」になる。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

 

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