花樣語言 Vol.164 令和の初めに

2019/04/24

Capture

「令和」が若い世代に意外とウケがいいのは、ラ行音であるためかもしれない。キラキラネームが登場する以前から、留美子、ルリ子、理恵、律子、利佐子、令子、レイ、山本リンダ、リカちゃん人形、のようなラ行の名前は人気があった。外国っぽい響きがあって新鮮に感じられた。なぜなら、和語すなわち本来の日本語には、ラ行音で始まる語はないからだ。ラクダ(駱駝)、リンゴ(林檎)、ルビー、れんげ(蓮華)、ロバ(驢馬)のような、語頭がラリルレロの語は全て漢語や外来語であり、これは日本語の大きな特徴のひとつである。「令和」は日本の古典、万葉集から取ったと言うが、実は全く日本語っぽくない。万葉版キラキラ元号である。

「令和」の「令」は、「令月」すなわち「よい月、めでたい月」の意味で、寒さが和らぐ旧暦2月を指したわけだが、万葉の時代の庶民が「レ」で始まる語をすんなり発音できたとは思えない。新元号が発表されるちょうど3日前、外務省の国名表記に「ヴ」は使わないこととする法案が衆議院で可決、成立した。河野外相は「定着した表記、分かりやすさ、発音のしやすさを優先すべき」と説明した。「ヴ」は明治以来インテリが外国語の知識をひけらかすために好んで使った。「ヴ」の付く名前のマンションにはセレブやセレブを目指す人たちが住んでいる。(セレヴ、ではない。)「令月」は万葉の時代、やはりカッコいい言葉と思われただろう。ラ行音は幼児が最も遅く覚える音であり、子供が興味を示す音でもある。怪獣やポケモンの名前、など。

カタカナ「レイワ」とローマ字「Reiwa」がやたらと出回ったのも、「令和」の字よりも音に反応したためかもしれない。日本国民の多くが、S(昭和)、H(平成)の次は「R」だ!と思っているときに、こんなことを書いた記者がいる。《本稿執筆時点で、令和を「R」と表記するのか「L」と表記するのかは不明》。なんだこいつ、と思っていると、次に《「R」か「L」か内閣官房に聞いてみた》というやからが現れた。内閣の担当者は「国の公文書はヘボン式ローマ字で表記されます。そのため、ローマ字表記はReiwaと記します」と答えたそうだがやはり、なんだこいつ、と思っただろうな。そしたら今度は、なんと台湾と香港のメディアがこれを引用して、《日本のローマ字では「Reiwa」と書くが実際の発音は「Leiwa」》とフェイクニュースまがいのことを書いた。恐らく彼らは、日本語のラ行音は「L」だと本気で思い込んでいるはずだ。

日本語のラ行音を「L」だと思う人たちの根拠は大概、英語の「R」とは違うと感じているからだ。が、英語の「R」は、実は「R」ではない。本来の「はじき音」でも「ふるえ音」でもなく、舌先が歯茎や上あごに接触しない「接近音」と呼ばれる音である。(中国語のピンインの「R」もニセモノの「R」であることは言うまでもない。「Sh」の有声音で、そり舌の歯茎後部摩擦音である。)日本語のラ行音は「たたき音」(tap)と呼ばれるくらい、はじき方(flap)が概して弱いうえ、前後の音の影響や個人差などによって様々な微妙な違いが生じて、なかにはたまに、ほとんど「L」(側面音)と変わりないような音になる場合もあるが、それはあくまで数あるバリエーションのひとつに過ぎない。日本語のラ行音に最初に「R」を当てたのは安土桃山時代の宣教師たちで、ポルトガル語やイタリア語のように比較的スタンダードな「R」と「L」の両方を持つ言語の話者には、日本語のラ行音はしっかり「R」に聞こえているのである。(ブラジルのポルトガル語は除外。)当時、日本語の文法書を書いたロドリゲスは、アジアの言語には「R・L」が一つしかない、と書いている。タイ語やインドネシア語などは知らなかったようだが、彼は、日本語には「R」しかなく中国語には「L」しかない、ということが言いたかったはずだ。「ヘボン式ローマ字」のヘボン(アメリカ人)でさえ日本語のラ行音を「R」とした。だから現在、「R」で書かれる。

パスポート申請の要綱にも、こう書いてある。《ヘボン式によらないローマ字氏名表記(長音H・O・Uの挿入やRに代えてLの使用等)を希望する場合には、あらかじめ電話案内センター又は各旅券窓口にご相談ください》。日本国籍を持つ「Linda」さんや、中華系の「蘭」(Lan)さんなどがこれに該当するだろう。「L」を実際に使用していることを証明できる書類等を持っていけば受理してくれる。江戸川乱歩の『黄金仮面』には、明智小五郎が「A・L」というイニシャルを発見して、日本人の名前に「L」はないのでこれは外国人だ、と推理する場面がある。(A・Lはアルセーヌ・ルパン。明智がルパンと対決する話。)明智小五郎ならぬ毛利小五郎の娘の蘭は「Ran」。ヘボン式も実は細部においては様々で、運輸省、鉄道会社、国土地理院、日本郵便、それぞれ微妙に異なるヘボン式を使っている。外務省では長音を「Shōwa」(昭和)のようには書かない。森(モリ)さんも毛利(モーリ)さんも「Mori」になる。毛利蘭は「Mouri Ran」らしいが、このつづりでパスポートを申請するにはあらかじめ電話案内センター又は各旅券窓口にご相談しなければならない。(宇宙飛行士の毛利衛さんはMohri。)「コナン」を「Konan」でなく「Conan」と申請するにも相談が必要だが、彼は工藤新一の戸籍しかないのでパスポートは取れない。

♪レはレモンのレ~、という歌詞があるが、本来、ドレミの「Re」は「Lemon」の「Le」ではない。が、日本語「レ」には区別がない、という深い意味が込められている。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

Pocket
LINEで送る