花樣語言 Vol.163 さらば酷MA萌

2019/04/10

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香港人の日本旅行は40年以上の歴史があって、色々な名物を独自に発掘してきた。「白い恋人」「熊出没注意」などもそう。かつて北海道の外国人スキー客といえば全て香港人だった。「熊出没」は香港に伝来して、「出没」がやたらとメディアに出没するようになった。「出没」は中国の古典にも出てくるれっきとした漢語だが、「女郎」や「進擊」などと同じく中国では長らく使われていなかった語で、現代日本語から逆輸入された里帰り語だ。長洲島の奥の方に、巨大な「熊出没注意」の壁画を描いた家がある。断言できるが長洲に熊は出没しない。

「没」は香港の繁体字では「沒」。「撃」は「擊」。よく見ないと微妙な違いを見落としてしまう。『進撃的巨人』には日本式字体の「撃」が使われている。2010年以降、今度はくまモンが出没するようになった。当初、くまモンは「萌熊」と呼ばれて、のちに自然と「熊本熊」になった。けれども熊本県の担当部署は中華圏での公式名称を音訳の当て字で「酷MA萌」とした。「酷」は英語の「cool」(クール、かっこいい)の音訳で、香港以外では以前からよく使われていた。広東語の発音では「huk」、北京語と違って「ku」とはならないので、「残酷、むごい」の意味を「酷」から消し去るのは難しい。それはどうあれ「酷MA萌」は香港以外でも全く定着しなかった。それで熊本県はついに、正式に「熊本熊」に「改名」することをつい先日、北京で発表した。「酷MA萌」は、ドラえもんが「叮噹」から「多啦A夢」と改名させられたときの悪”夢”を思い起こさせる。くまモンよ、おまえもか、と思った。もし「酷MA”夢”」だったなら、なおさら。ポケモン「寵物小精靈」まで「寶可夢」で、”夢”はもういいよ、って感じ。慣れ親しんだ名前の改名は”酷”だ。こういう問題が間々起こる背景には、名前は一つでなければならない、という日本式の思い込みがあるのではないか。

『ビューティフル・ネーム』というゴダイゴの曲は、1979年、ユニセフ国際児童年のテーマ曲だった。♪どの子にもひとつの、名前が、光ってる~♪ひとつの地球に、ひとりずつ、ひとつ~、と歌っている。が、これも断言したい。地球上の多くの子供たちは、二つ、あるいはそれ以上の名前を持っている。ゴダイゴは中国でコンサートをした初の外国のロックバンドであり、この歌も中国語で歌われたが、中国は伝統的に、複数の名前を使う国である。国連の「児童の権利に関する条約」によると、児童は「氏名を有する権利」を有している。仮面ライダー2号、鉄人28号、サイボーグ009…のような番号ではダメなのだ。が、名前を二つ持つことは何ら問題にならない。

お口が×印のミッフィーは、母国オランダでは「nijntje」である。言いやすいように外国人向けの名前「Miffy」をわざわざ用意してくれているのに、「本名に忠実に」ということだろう、日本の一部には「ナインチェ」と書いたのがある。この発音をカナで表すのは厄介だ。「ネインヒエ」のようにも聞こえるだろう。オランダのどの地域の発音かによっても違ってくる。(くまモンもアクセントがテレビ局によって熊本型:東京型の違いがある。)「うさこちゃん」という意訳もあるが、オランダ語の意味はまさにこれに近い。意訳はわかりやすい。ポケモンのサトシは欧米の多くの国で「Ash Ketchum」だが、このケチャムは「Catch ‘em」(Catch them=ポケモンを捕まえる)から来ている。やはり意味から生まれた名前だ。中華圏では、テディベア「泰迪熊」、ミッフィー「米菲兔」、ハローキティ「吉蒂貓、Kitty貓」のように動物名を添えるのが極めて普通であり、日本のゆるキャラには、ひこにゃん「彥根喵」のように地名をそのまま入れることが多い。「彥喵」もある。ふなっしーは「船梨精」。彼は何度か香港に来た。王家衛の映画が好きなのだとか。世代がわかるね。

「熊本」は、加藤清正のとき「隈本」から改名された。この書き換えがなかったら「熊本熊」はありえなかった。「熊本熊」は広東語の発音では「ホンプーンホン」だが、これの北京語音表記に、熊本県の担当者は抵抗があったと思う。「ションベンション」。せっかくなので、これを機に、「本」(běn)のように「b-、d-、g-、z-、j-」で書かれる中国語の音は濁音とは違うのだということを学んだらよかろう。日本人が濁音で読む中国語ほど汚い中国語はない。朝日新聞のように「ションペンション」とすれば済むことだ。ちなみにブリュッセルの「小便(ションベン)小僧」は世界的な観光アイドルである。(世界3大がっかり、という説もある。)ベルギーにはタンタンという国民的キャラがいるが、国土がフランス語圏とオランダ語圏にまたがっているので、フランス語名「Tintin」、オランダ語名「Kuifje」の二つがある。くまモンが「熊本熊」でも、いいではないか。

英語圏では、例えば「レベッカ」という女性は、生まれてこう名付けられた時点で、自動的にもうひとつ「ベッキー」という名前もあわせ持つことになる。日本の芸能人のベッキーは「本名はレベッカ」と、当たり前のことを「公表」した。女子サッカーのレベッカ・モロスは、INAC神戸レオネッサでは登録名をベッキーとしていた。『トム・ソーヤーの冒険』にも、レベッカすなわちベッキーという女の子が出てくる。「トム」はすなわち「トマス」だが、彼はベッキーに「トマスとは呼ばないでくれ」と頼む。「トマスは叱られるときに呼ばれる名前で、いい子にしてるときはトム」だと、自分のアイデンティティを主張する。♪どの子にも二つの、名前が、光ってる~

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

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