花樣語言 Vol.156 このこどこのこ

2018/12/27

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子子子子子子子子子子子子。これは何と読むか。言葉遊びの古典なので、知っている人は知っている。「ねこのここねこししのここじし」(猫の子、子猫。獅子の子、子獅子)と読む。出題者は嵯峨天皇だというから恐れ多い。ライトノベルの作家に子子子子子子子(ねこじしこねこ)という人がいる。氷室冴子以来、ライトノベル作家の古典の素養はあなどれない。

蚊の幼虫のボウフラは漢語で「孑孓」、日本では「孑孒、孑孑」と書く。これを「子子」(子が二つ)だと思ってた人がいる。「孑」は日本語音で「けつ」と読み、「子」とは別の字で、「単独」を意味する。「孑然」(けつぜん)=孤立しているさま。広東語には「二つそろったもの」を意味する「孖」(マー)というのがあって、「3344」なら「孖三孖四」と読む。双子の兄弟は「孖生兄弟、孖仔」。「孑」(一つ)に対して「孖」(二つ)。「隻」に対する「雙」(双)と同じこと。「囍」は「喜」が二つ。雙喜(そうき)。二つそろったものは縁起がいい。香港では「喜喜」(ヘイヘイ)と読まれたりもする。「行」という字は、「彳」(左足を前へ)+「亍」(右足を前へ)で、「行く」。彳(ちゃく)と亍(ちょく)で「てくてく」歩く音が表されている。ボウフラ「孑孓」は広東語で「キーッキューッ」、やはり韻がそろっている。「曱甴」(ゴキブリ)も同じく「カーッチャーッ」、押韻している。きっと擬態語起源だ。この手の熟語はほかにも、卓球「乒乓」(ピンポン。球の跳ねる音から)、「忐忑」(たんとく。不安で気が気でない様子)などなど。忐忑は心(心臓?)が上下にドキドキ動いている、ということだ。西遊記に豬八戒が「忐忑」する場面がある。

「曱甴」は頭を上と下に向けた2匹のゴキブリに見える。「孑孓」も恐らく水面に浮かぶボウフラの象形であろう。ボウフラ=「子子」説を聞いてから、子子子子子子子子子子子子がボウフラの大群に見えてしかたない。孑孓孑孓孑孓孑孓孑孓孑孓とすればフラフラ揺れ動いてる様子まで伝わってきそうだ。日本語の「ぼうふら」は、棒がふらふら振れている、が語源らしい。さて、嵯峨天皇は平安初期の人物で、子子子~の話は宇治拾遺物語(平安末期~鎌倉初期)に出てくる。この時代すでに猫の子を「こねこ」と言っていたわけで、つまり日本語には古くから「こ~」という言い方が存在していた。また当時の日本人が獅子を知っていたこともわかるが、獅子の子にも「こじし」と応用(?)、敷衍(?)しているのは興味深い。ねこのここねこ~が不思議に面白いのは、現代語の感覚と全く同じで、時代のギャップを感じさせないからだ。「こ」は現在も、貞子の子を子貞子と言うように造語力を維持したまま生き続けている。貞子にとりついた天然痘ウイルス並みの生命力がある。

「こ~」は無生物にも使える。その場合、小石、小皿、小銭、のように「小」と書く。小鳥や小魚は生物なのに「小」である。スズメのような小さい鳥、小型の魚、という解釈だ。ただしこういう漢字の使い分けは徹底できない。日本語では生物でも無生物でも、また子供でも小型でも「こ~」(子)なのだ。一方、漢語式には「息子」も「小」だ。小ブッシュ、小デュマ。旧国鉄の子供切符には「小」と赤く刻印してあった。「子(仔):小」の無理な書き分けは意味の境界にグレーゾーンが生じる。小型犬は親犬でも小犬(こいぬ)なのか。小型の貞子なら小貞子か。それに小猫(小さい猫)はたいがい子猫(子供の猫)だ。ロシアンブルーは親猫も子猫もグレー。

「獅子」は「獅(ライオン)の子」を意味しない。獅子は獅子だ。ほかにも、帽子、菓子、格子、杓子、障子、椅子、扇子、様子、緞子、柚子、杏子、などが、特に鎌倉時代以降、たくさん現れた。この「子」はどこから来た「子」か。もちろん中国から来たのだが、こういう「~子」は中国では、時代を下れば下るほど、そして北に行けば行くほど、多くなる。北京語では、車子、鏡子、蚊子、日子、鋸子、杯子、肚子(お腹)、裙子(スカート)、褲子(ズボン)、鞋子(靴)、襪子(靴下)、被子(掛け布団)、帽子…、多いなどというものではない。これらは広東語では、車、鏡、蚊、日、鋸、杯、肚、裙、褲、鞋、襪、被、帽、でいいのだ。「子」は単に短すぎる単語を長くする役目しかない。音節数も声調も広東語に比べほぼ半分に減ってしまった北京語では、単語が長くなる傾向が特に強く現れた。眼→眼睛、舌→舌頭、何→什麼東西、また、花→花兒(儿)などの「R化」。日本語でも1音節語は伸びる。背→背中、葉→葉っぱ、田→田んぼ、座→御座(呉座、茣蓙)。

団子(だんご)はもとは「だんす」と読まれていた。「す」の平安~鎌倉期の発音は「ツ、チュ」に近い。だから中国語の「椅子」(イーツ)を「いす」と書いた。その後「す」は[su]に変化し、代わって「つ」(tu=トゥと発音していた)が[tsu]になったので、それ以降に入ってきた「面子」は「メンツ」と書く。餃子(ギョーザ)の「ザ」は戦後に現れた最も新しい「子」の読み方。というわけで嵯峨天皇のときの「こ、ね、し、じ」は現在「こ、ご、ね、し、じ、す、ず、つ、ざ」と増えている。いっそう多様な創作が可能だ。子子子子子子子子子子子子子子子子子子「このネジ、小ネジ。この筒、小筒。このゴザ、涼し」。こんな応用はどうか。子子子子子子「ボウフラの子、子ボウフラ」。…って、ボウフラは蚊の子だろう。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

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