花樣語言 Vol.155 姓談義

2018/12/19

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20年前の夏の高校野球の予選で岩手県遠野高校のメンバー9人のうち7人が「菊池」だったことがニュースになった。北海道や東北の「佐藤」、宮崎の「甲斐」「黒木」などで同様のことが起こりそうだが、全国選抜の日本代表となると、なかなかこうはならない。「王」や「李」が多い中国ならどうかと思えるが、実際には、中国で1位と2位を占める王姓と李姓はそれぞれ全人口の7.25%と7.19%(2007年の統計)。確率的に、サッカーの代表チーム11人の中に王選手や李選手が一人もいないということは十分あり得るのだ。

遠野高校の略称は遠高(えんこう)というのだが、これも地元の人でないと正しく読めない。で、遠高現象(?)的な事態が国家代表チームレベルで起こり得るとしたら、その国はベトナムである。グエン(Nguyễn、阮)が全国民の38.4%を占める(2005年)。韓国のキム(金、21.6%)の比ではない。実際、サッカーベトナム代表には現在、登録選手23人の中にグエン姓が10人いる。FWに5人グエンがいて、MF、DF、GK、いずれのポジションにも全てグエン選手がいる。これをうまく利用すれば相手チームのマークを攪乱できるかもしれない。2番目に多いのがチャン(Trần、陳)12.1% 、3番目がレ(Lê、黎)9.5%、いずれの比率も中国の王、李より高い。中国も南に下ると、陳、林、黄、張、などが多くなって、王、李を超える。ところで日本でよく「トラン」と書かれてしまうベトナム人の姓はこのチャン(Trần、陳)である。「茶」はベトナム語でも「チャ」と言うが、これを「trà」と書くのだ。広東語でもチャン(Chan)と読む陳姓は福建の閩南語だと「タン」と発音される。福建系住民が多いシンガポールの「Tan」さんたちがまさにこの陳だ。タン氏とは俺のことかとチャン氏云い。これのベトナムバージョンが「Trần」。トラン氏とは俺のことかとチャン氏云い。

姓でなく名のほうならば、バレーやバスケなど少人数の競技で男子チーム全員が「カレル」、女子チーム全員が「カルメン」ということが、それぞれチェコとスペインで容易に起こり得る。さて今年のサッカーW杯にアイスランドが出場した。メンバーは日本でこう書かれた。1.ハンネス・ハルドーソン、2.ビルキル・サエバルソン、14.カリ・アルナソン、6.ラグナル・シグルズソン、18.ホルドゥル・マグヌソン、10.ギルフィ・シグルズソン、17.アーロン・グンナルソン、20.エミル・ハルフレドソン、7.ヨーハン・グズムンドソン、8.ビルキル・ビャルナソン、11.アルフレズ・フィンボガソン。全員「ソン」が付いている。アイスランドにも女子チームはある。女子代表はこう書かれるだろう。これは長いぞ。グズビェルグ・グンナルスドーティル、グローディース・ヴィゴースドーティル、アナ・クリスチャーンスドーティル、ハルバラ・ギースラドーティル、グンヒルドゥル・ヨーンスドーティル、ファンディース・フリズリクスドーティル、ハルパ・ソルスティンスドーティル…。

ソン(son)は英語と同じく「息子」の意味、アイスランド語のドーティル(dóttir)はdaughter(娘)ということだ。アイスランド人に姓はない。~ソン、~ドーティルは父称といって、自分の父親(または母親)の名を表したものである。カトリーン・ヤコブスドーティルなら「ヤコブの娘カトリーン」という意味(首相の名前です)。首相でも「カトリーン」と呼ぶのが正式。実に短い。なのにナショナルチームの背中には「Aron」ではなく「Gunnarsson」と父称が書いてある。父称を姓だと思ってる外国人向けの、国際舞台でのアイスランド人のパフォーマンス、ということだろうか。

父称は、東欧、モンゴル、アラブ圏などでも使われている。ゲルマン諸国に多いジョンソン、リチャードソン、アンデルセンのような姓は祖先の父称が固定化して姓(家族名)となったもので、女性でも、~ソン、~セン(息子)。デンマークからの移住者にセンは多い。移民は姓を使える。だから日本人がアイスランドに移住しても、太郎の娘の花子さんがハナコ・タロースドーティルと改名する必要はない。ちなみに庶民が姓を名乗れなかった江戸時代には日本女性のフルネーム(?)は、権兵衛娘はな、熊五郎娘ちよ、吉右衛門娘つる…だった。柳田国男『遠野物語』には、かつて遠野地方に「春助勘太」のように父親の名を前に付けて呼ぶ習慣があったと記されている。

人類の文化は多様。名前の方式も多様だ。世界中どこでも「姓+名」だと思ったら大違い。姓を使わない民族は現在も、モンゴル、ミャンマー、アラブ圏など世界中に存在する。インドネシアのかつての指導者スハルトやスカルノもこれ一つで正式なフルネームである。ベトナムも姓はあっても名のほうを普通に使う。最近は、マドンナ、ビヨンセ、レディー・ガガなどの影響か、姓を名乗らない芸能人が増えた。日本でもDAIGOとかGACKTとか杏とか。香港ではマドンナ「麥當娜」にも「麥」という姓がある。ダイアナ「戴安娜」も戴姓だ。香港の有名なSFヒーローWisely「衛斯理」も衛姓。こういう当て字(当て姓?)は『ロミオ(羅密歐)とジュリエット(朱麗葉)』の羅姓、朱姓(葉姓?)以来の伝統がある。ドラえもんにも姓がある、という説がある。広東語で「ン」(Ng)と発音される、呉孟達(ン・マンタ)やリチャード・ン(呉)などの呉姓なのだそうだ。♪とっても大好き、ドラえも・ン(呉)~♪

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

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