花樣語言 Vol.151 みどりさん、なおみさん

2018/10/10

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Midoriという英語名を持つ香港人女性に、漢字で書いてくれと頼まれたことがある。「綠」(緑)と書くと、そうじゃなくて…、とダメ出しされたので、「美朵莉」としてやった。

Midoriという芸名を持つ女優やアーティストは欧米に少なからずいるが、アメリカのバイオリニストMidoriさんはもともと本物の日本人で、本名、五嶋みどり。去年香港に来たときのポスターには「宓多里」とあった。「美島莉」と書いたのもある。うつみみどりは芸名を「宮土理」と変えた。「みどり」の漢字は、実登里、美都利、美登理、実都梨…、順列組み合わせにより、おびただしい数になるだろう。元NHKキャスター宮崎緑さんのように「緑」や、「翠」「碧」もある。本名が平仮名であるスケートの伊藤みどりさんは香港で「伊藤綠」とされた。(伊藤園の緑茶みたいだ。)香港では有名ではないがサザエさんの声の加藤みどりさんも「加藤綠」と書かれる。(加藤園の緑茶、というのはないが香港なら作りかねない。加藤茶、になるのだろうか。)ちなみに香港で「加藤」といったら『グリーン・ホーネット』でブルース・リーが演じた「Kato」である。加藤屋という香港の牛丼店もまさにこの「カトー」だ。加藤みどりさんの名前は香港では知られてないが、中年の香港人なら子供のころ『がんばれ!!ロボコン』(小露寶)で、ママの役で出ていた加藤さんを必ず見ている。「宓多里」という当て字は面白い。「宓」は漢民族の姓にある字で、マテオ・リッチを「利瑪竇」、イギリスのメイ首相を「文翠珊」とするのと同じ、外国人の名前に漢姓をあてて漢族の名前っぽく訳す手法だ。確かに「宓」は、「密」や「蜜」と同じく北京語音で「mì」と読まれる。が、惜しいかな、姓の場合は「Fǔ」と読むのである。実は、非常に珍しいが浙江省に「密」という姓が存在する。だから「密多里」でよかったのだ。(広東語なら「宓」は「Fuk」、「密」は「Mat」、いずれも「ミ」にはならない。)密姓の人は香港にも、ほんの数人か数十人であろうが住んでいる。

テニスの大坂なおみは「直美」か「娜奧美」か、ということが中国で問題になった。が、これはアメリカで優勝した後の、つい最近のことで、彼女は以前からずっと「大坂直美」と書かれてきた。川島なお美も「川島直美」である。これが伝統的な香港のやり方。(「直」は字体が若干違います。)郷ひろみはかつて「郷廣美」だったが本名がわかってからは「郷裕美」になった。大坂なおみは日米の二重国籍であり、もし仮に彼女が今後アメリカ国籍を選んだとしたら、日本では「ナオミ・オーサカ」と書き換えられるだろう。ノーベル文学賞のカズオ・イシグロやかつてのペルーのフジモリ大統領のように「日系人」はカタカナで書かれる。だが香港ではそんなことは問題にしない。「石黑一雄」「藤森總統」である。石黑一雄は香港の書店では完全に日本人扱いだ。

陳浩基という香港の推理作家が台湾で本を出している。代表作『13・67』は日本語にも翻訳されて日本の書店に並んでいるのだからすごい。この『13・67』の中に、漢族式に訳されたイギリス人の名前が謎解きのカギとして出てくる。これ以上はネタバレになるので詳しく書かないが、彼の小説では香港の文化や歴史が香港人以外にもわかるよう丁寧に説明されている。そして今年出た『山羊獰笑的刹那』では「ナオミ」の名前がトリックになっている。香港人は「ナオミ」と聞くと日本人の名前「直美」を思い浮かべるが、実は「Naomi」はヨハンやピーターなどと同じく聖書に出てくる西洋人の伝統的な名前である、ということだ。(おっと、完全にネタバレです、すみません。)NHK「日本人のおなまえっ!」でもナオミはテーマになった。日本にナオミを広めたのは、谷崎潤一郎の『痴人の愛』だとされている。当時「ナオミズム」の社会現象を巻き起こしたヒロイン「ナオミ」は、小説の初めに【「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、…本名は奈緒美】と出てくる。そして【「奈緒美」は素敵だ、「NAOMI」と書くとまるで西洋人のようだ】と、現代の日本人や香港人とは全く逆のことを大正時代のハイカラたちは感じていたことがわかる。ナオミ・キャンベルは日本の名前を持つ外国人、と思っていた日本人は多かったが、実は逆だ。ナオミは日本に輸入された名前である。その影響で「~子」より「~美」が付く名前がはやり出し、本来男の名前だった「ひろみ」や「しげみ」までもが女子名になった、ということだ。

『山羊~』には、香港の少女NAOMIが、なぜ私には名前が二つあるの、と母親に聞く場面がある。お母さん答えて曰く「ディズニーランドからフェアリーが来たとき、私は楊樂筠です、と言ってもわからないでしょ、でも、My name is Naomi.と言えばわかってくれるのよ」。確かに香港人が英語名を使ってきた理由はおおよそそういうことだ。(香港ディズニーランドのフェアリーなら広東語もわかるのでは、と思うが。)ところで日本人もまた「名前が二つある」と思われていることをご存じだろうか。Yamadaという日本語の名前と、山田という中国の字で書いた名前、なのだそうだ。うまい説明を考えておいた方がいい。最後に一言。ナオミを娜奧美と書いたところで問題は解決しない。娜奧米、納奧美、納奧米、娜奧蜜…、これまたいくつものナオミが出てくる。

大沢ぴかぴ(比卡比)

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