花樣語言 Vol.149「ゎ」に関(くゎん)する話

2018/09/12

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関西学院大学は「かんせいがくいんだいがく」と読まれて略称が「関学」(かんがく)。この大学は今年、アメフトの一件で全国的に有名になった。関西大学のほうは「かんさいだいがく」で略称は「関大」(かんだい)。こういう読み方は関西では常識であるが、では関学の「関西」が「かんせい」なのは、なぜ?

近畿地方は150年前まで日本の中心であり、「西」と呼ばれることはなかった。中央から見て東の果てを指す「関東」という言葉しかなかった。明治維新で首都が東京になったことで、「関東」に対応する概念として「関西」が生まれたのである。当初、「東京」は「とうけい」と読むべき、という向きが強かった。京、競、経、などを「きょう」(きやう)と読むのが呉音、「けい」と読むのが漢音。奈良時代以前の古臭い呉音ではなく、遣唐使が長安で習ってきた「正統」な漢音で読みましょう、ということだ。けれども結局、漢音の読みは定着しなくて、明治後半に呉音の「とうきょう」で落着したのである。「西」は、「さい」が呉音、「せい」が漢音。事情は同じで、「かんさい:かんせい」という対立のうち、漢音を差し置いて呉音の「かんさい」が一般化した。にもかかわらず関学が「かんせい」を保持できたのには、かの大学がミッション系であり「Kwansei」というローマ字表記を常用してきたことが一役買っていると思う。表音能力の弱い漢字と違って、ローマ字なら日本人は「sei」を必ず「セイ」(セー)と読む。英語のSeismicwave(s地震波)のように「サイズミック」と読んだり、ドイツ語のように「ザイ」と読んだりするようなひねくれた根性は日本人にはない。

東京のとあるメディアはこの「Kwansei」に目をつけて、「くゎんせい」と読むのか、と記事に書いた。読むわけねえだろ。と、切って捨てたいところだがちょっと待った。終戦の翌年に作られた「現代かなづかい」(内閣告示第三十三号)にはこういう記述があった。【「クワ・カ」「グワ・ガ」および「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」をいい分けている地方に限り、これを書き分けてもさしつかえない】。この条項は現行の「現代仮名遣い」になって削除されたが、「現代仮名遣い」は、擬態語、方言、外来語などは対象外、となった。「くゎ、ぐゎ」は合拗音(ごうようおん)といって、「ん、っ」や開拗音(きゃ、きゅ、きょ、など)と同様、本来日本語にはなかった漢字音を書き表すために生じたものである。「菓子」は「くゎし」、「河岸」は「かし」。しくゎし、もとい、しかし、江戸でこの区別が失われる。滑稽本『浮世風呂』に上方と江戸の女性が言い争う場面があって、「お慮外(りょぐゎい)も、おりょげえ。観音様(くゎんおんさま)も、かんのんさま。なんのこっちゃろな」と、ぐゎい→がい→げえ、くゎんおん→かんのん、のように訛る江戸の言葉がこき下ろされている。上方(関西)ではおよそ明治まで、場所によっては昭和までも、合拗音は維持された。同じく『浮世風呂』には「喧嘩」を教養人は「けんくゎ」、無教養な輩は「けんか」と言う書き分けが見られる。ハーンの『怪談』も『Kwaidan』。大学たるもの、「Kwansei」とするのがまさに「教養」、創始者たちもそう考えたのだろう。が、この字音がまさか、のちの時代にここまでマイナー化、浮世離れするとは思いもよらなかっただろう。

合拗音を発音しなくなった現代日本人にとって、「くわん、ぐわい」のように書くのは「歴史的仮名遣い」である。小さく「ゎ」と書くのは「捨て仮名」といって、実はかなり新しい。キヤノン、キユーピー、オンキヨー、崎陽軒のシウマイ、のように歴史ある社名や商標は今も捨て仮名を使っていない。外来語の場合、かつて「イタリヤ」と書いたのを今は「イタリア」とするように、合拗音も「クァ、グァ」と「ァ」で書かれるようになった。アクアリウム、スクワット、イコール、のような、合拗音の無視もある。なお、イタリヤはイタリアでも、ダイヤモンド、タイヤ、ベニヤ板、などは「ヤ」。日本語のつづりのこういった慣用(くゎんよう)への寛容(くゎんよう)は看過(かんくゎ)できない。

日本の地図帳では広州は「コワンチョウ」と、「ク」ではなく「コ」になっている。これはなかなかレアだ(レヤ、ではない)。北京語式発音を耳で聞いた通り忠実に写そうとしたものと思われる。広東語ならむしろ渡り音の[w]は弱化する傾向にあるのだが、ただしそれは[ɔ(]オ)の前に限ったことであり、[a]の場合に[kwa]→[ka]となるようなことは絶対にない。これが起きるのは日本語とフランス語ぐらいなものだ。Canton←これは、クヮントン(広東)の転訛。「広州」の意味でヨーロッパ中に普及。

とある喫茶店でのこと、東京と大阪のおばあさんのペアと隣り合わせになり、その究極の会話に思わず聞き入ってしまった。東京のおばあさんは植物のアロエを「ねとねと」と表現し、大阪のおばあさんは「にゅるにゅる」と表現した。これぞまさしく現代版『浮世風呂』。話題が「駅前のハンバーグ屋さん(ママ)」へと展開したときは、婆ーガー・婆-ジョン「マックvs.マクド」論争が聞けるかと期待したが、「なんて名前だったっけ」「なんやったかいな」。彼女たちは、かの「ハンバーグ屋」の名前を思い出すことはなかった。

 

大沢ぴかぴ

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