花様語言 Vol.144「猫の足どり」

2018/06/22

十二支に猫年がないのは猫がネズミにだまされて到着が遅れたからという有名な逸話がある。実際の理由は、古代中国で十二生肖が作られた頃、猫はまだなじみのある動物ではなかったからだ。狸(貍)との違いさえわからなかった。日本でも江戸時代までは数が少なく、飼えるのは公家や武家、豪商や豪農など富裕層だけだった。確かに猫は人間世界にネズミより遅れてやってきた。

「猫」が常用漢字になったのは1981年だから、1946年から当用漢字表に入っている「犬」より、これまた大幅に遅れた。その気になれば俊敏に動けるくせに、いつもだらだら寝てばかりいるから、ウサギと亀の競争に参加したら間違いなくウサギにも負けるだろう。日本人が香港で「猫」と書くと、ダメ出しされることがある。「貓」が正しい、と。「犭」は犬を表すからだ。犬つながりで、狗、狼、狐、狛…などがあり、また、狂、犯、獄、狄、猾、猥、獰…、古代中国で犬が邪険なものと見なされていたこともわかる。だが、猿、猴、狒、猩…、なぜサルが「犬」なのか。犬猿の仲、ではなかったのか。獅=ライオンはネコ科ではないのか。

そもそも、牛、馬、羊、豕(豚)、鼠、虎、鹿、象、熊、…、古くから知られている動物には「犭」も「豸」も付いていない。動物の知識が増えるにつれ、犬に似た形(?)の獣に「犭」を付けていった。「猫」は康煕字典にも俗字と説明付きだが載っている。日本式略字ではない。中国の新しい簡体字でもない。「豸」には、豹、豺、貘、貂、貍、貉、貊…、概して「犭」より得体のしれない曖昧模糊とした動物が並び、爪を持つアブナそうな猛獣も「豸」だ。ネコが山から出てきて、なじみのある動物になったから「犭」が付けられた、という解釈はいかがであろう。いずれにせよ日本では「犭」をけもの偏と呼び、犬の意味が消えたことで丸く収まっている。

常用漢字表は「猫」の項に、対応する旧字体として「貓」を載せていない。明治の国語辞典『言海』も「貓」ではなく「猫」である。日本人は、もとより「貓」をほとんど使ってこなかったのだろう。康煕字典には「貍・狸」も両方が載っているが、これはヤマネコの意味。「貉」がタヌキだ。中華圏ではこのへんの区別が実に曖昧。タヌキに独自の文化を持つ日本民族とは違うのだ、月夜にポンポコなんていうイメージはない。「貉」は日本ではムジナであり、むじな偏(豸)という名前はこの字から来ている。ムジナとはアナグマのことだが日本でもタヌキとの境界が実は曖昧で、「同じ穴のむじな」ということわざがある。中国にも「一丘之貉」(いっきゅうのかく)というのがある。一癖ありそうなのがつるんでいたら同類と見なされてしまう。香港では日本のアニメにタヌキが出てくると「狸貓」と訳している。字幕は「貍貓」より「狸貓」が多い。「貓」にはこだわっても「貍」は知らないのかもしれない。キツネの情報ならイソップ童話など西洋からも入ってくるが、そのキツネからして「狐狸」と書く。さて、「一丘之貉」の「貉」は広東語でどう読むか。これは引っかけ問題だ。正解は「hok6」(=學)。許容範囲は「lok3」(=酪)まで。各、格、略、のようには読まない。北京語音も「hé」(=和)で、同じく人を化かしたような発音。同じ難読のむじな。

英語で「cat people」とは「cat-lover」すなわち猫好き、愛猫家のこと。「ailurophilia」(アイルロフィリーア)なら、愛猫癖(あいびょうへき)、愛猫症(あいびょうしょう)に近くなる。「cat」と古典ギリシャ語「ailuro-」の関係は、日本語なら和語の「ねこ」と漢語「びょう」の関係に相当する。猫は、オランダ語、デンマーク語で「kat」、ノルウェー語、スウェーデン語「katt」。ゲルマン諸語の「k-」に対する英語「c-」の関係は前回のおさらいになる。「cat」は古いフランス語すなわち俗ラテン語と同語源、イタリア語は「gatto」、スペイン語、ポルトガル語「gato」。古典ラテン語「feles」とは全く違う。猫はヨーロッパにも遅れてやってきた。起源的にヨーロッパ語でないことは確かだが、どこから来たかは不明だ。いったいどこから来たの?迷子の猫さん。

先日、ベルギーのイーペルで猫祭りがあった。中世の猫の逸話に由来して、3年ごとに開かれる。イーペルが属するフラーンデレン地域はオランダ語圏である。フランス語ではフランドル、英語ではフランダースと呼ばれる。話が犬の方向にそれないようにするが、ここはかつてベルギーの公用語がフランス語だけだった頃、住民運動によって、オランダ語を公用語とする権利を勝ち取った歴史がある。フランス語の看板はひとつもないし、電車もこの地域に入るとアナウンスがフランス語からオランダ語に切り替わる。ベルギーには東部にドイツ語圏もあるし、首都ブリュッセルに着くときは英語のアナウンスもある。猫祭りの日、電車がイーペルの駅に近づくと、放送の最後になんと車掌がひと声、Miauw!と猫の鳴きまねをした。ベルギー鉄道の車掌は猫語も話せるのだ。

 

大沢ぴかぴ

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