花樣語言Vol.133 恵方巻、20周年

2018/01/15

節分の日に「恵方」を向いて、太巻き寿司を切らずにかぶりついて無言で食べる。これが恵方巻(えほうまき)。ハロウィンと同じく近年急速に広まったとされますが、え? そんなの知らないって? 知らない人が多いのも、ごもっとも。コンビニが広めたとされていて、コンビニ文化やテレビに無縁の生活を送っている人、あるいは海外生活の長い人などはいまだに「圏外」。大阪起源であり、関東の人たちはそもそも「恵方」という概念そのものを持っていません。「恵方」は、関西の言葉です。

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節分に太巻きを食べる習慣のあった大阪でも、「恵方巻」という言い方自体は新しいと感じられているようで、確かにこの名前が初めて記録に現れるのは1998年というのが通説のようです。巻寿司(のり巻)の歴史は1708年より前にはさかのぼれないので、豊臣秀吉が始めたとか室町時代とかいうのは単なる逸話。古く見積もっても江戸時代後期、一般に広まったのはだいたい大正時代からで、戦前と戦後に商業組合などの販促で「節分には恵方に向かって丸かぶり」という宣伝が行われた記録があります。でも名前は「丸かぶり寿司」とか「節分の太巻き」。「恵方巻」の登場は時代をさらに下ってコンビニ全盛時代の幕開けを待つことになります。

香港でハロウィンといえば蘭桂坊、でも海洋公園(オーシャンパーク)を思い浮かべる香港人も多いはず。客足が遠のいていた海洋公園を立て直して園内でハロウィンのイベントを始めた人物は、蘭桂坊をバーの集まる西洋文化の街に作り替えた張本人で、同一人物。彼の有名なコスプレ趣味が香港のハロウィンの起源だといっても過言ではないでしょう。同様に「恵方巻」も、命名者はどうやら特定のひとりの人物に絞り込めるとのことです。広島のコンビニ経営者で、出身は大阪だそうで。大阪人にとって「恵方」は、かつての「恵方詣り」(恵方参り)という、現在の初詣(はつもうで)の原形にあたる行事によって、耳になじみのある言葉だったのです。

「恵方」とは、縁起の良い方角のことで、干支(かんし、えと)によって決められ、毎年変わります。これは陰陽道に基づく考えなので、恵方には歳徳神(としとくじん、とんどさん)という神様が毎年、年の初めにおいでになるとされます。神道では「歳神」(としがみ)と言われていて、民間信仰ではいわゆる「山の神」、もとはかなり古くからあった思想です。年の初めに、自分の家から見て恵方の方角にある神社仏閣にお参りするのが恵方参り。これを明治~大正のころ、関西の鉄道会社が競って宣伝したのです。恵方は主に干支の十干(甲・乙・丙・丁~)で定められ、甲=東北東やや東、庚=西南西やや西、丙=南南東やや南、壬=北北西やや北、の4つの方角しかありません。これが5年を周期に巡ってきます。陰陽「五」行です。5年間で4方向、甲、庚、丙、壬、丙、というサイクル。すなわち丙の南南東やや南が5年のうちに必ず2回巡ってきます。大阪市内の住民を沿線の神社仏閣に動員するにあたって、阪南を基盤とする南海電鉄と近鉄にはアドバンテージがあったことになります。

北に阪急、南に南海、近鉄、西に阪神、阪急、東に京阪、阪急、近鉄、さらに旧国鉄も加わって、しのぎを削っていた大阪の鉄道網。この競争が高じて、各鉄道会社が年や方角を無視して自社沿線の神社をやたらと恵方だと言って喧伝して、よって恵方の意味が薄れ、恵方に関係なく任意の社寺に詣でる「初詣」が始まった、というわけ。「恵方」はこうしてなりをひそめるかに思われましたが、節分の行事に引き継がれて残り、さらには太巻きの名前として復活するのです。節分は、立春の前日です(立春も年初めを意味します)。前日なので、歳徳神はまだ恵方の位置に来ていない、というするどい指摘もあります。でもクリスマスもイブを祝うし、ハロウィンも「諸聖人の日のイブ」という意味なので、まあいいじゃないですか、第3のイブ、ということで。

「恵方」(えほう)とは「ええ方」すなわち「良い方角」という意味の関西言葉。このことがネットなどの目立つところに書かれていないのは意外です。「恵」は当て字で、「恵みの方角」とかいうのは単なる当て字の語釈。「吉方」という書き方もあって、これが意味を酌んだ当て字。ちょうど比叡山が、古事記に「淡海(おうみ)の日枝(ひえ)の山」と出てきて、ふもとにある「日枝」神社が平安時代に「日吉」神社と当て字されたのと同じことです。「日枝、比叡」は「日がええ」(日が良い)ということ。「日吉」は「ひえ」とも「ひよし」(=日良し)とも読まれ、日吉大社は戦後から正式には「ひよし」とされていますが、全国にある日枝神社と日吉神社は同じものです。京言葉の「ええ」(良い)がなまったのが東京言葉の「いい」(良い)。逆ではありませんよ、江戸の短い歴史と、比叡山や日枝神社の長い歴史を比べてみるまでもありません。大阪言葉が京言葉から分離して独自の道を歩み始めるのは船場の商人文化が強くなる江戸時代後期から。「恵方」は、天下の台所、大阪経済が絶頂だった頃の、ええ時代の記憶が込められた縁起のええ言葉です。

大沢ぴかぴ

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