花樣語言 Vol.122 古い新字体と新しい旧字体

2017/08/17

花樣語言 Vol.122

去る7月1日は香港特区成立20周年。香港のいたるところで祝20周年の字を見ましたが、中には「20週年」と、しんにょうが付いているものが結構ありました。間違ってるぞ、と指摘した人、いますか? 空港の到着ロビーの真正面には「20周年」と「20週年」の二つが堂々並んでましたからね。

香港では、週刊誌の類を「周刊」、「週末」を「周末」、と書くことが多いです。つまり日本とは違って、「週」=「week」ではないのです。「週」は「周」の異体字に過ぎないので、基本的に意味の違いはありません。どちらを使うかは、人によります。「周」と「週」が混然と使われている状況は台湾も同じで、台湾で翻訳された小説版『君の名は。』でも「彗星來訪的週期」と、「周期」にしんにょうが付いています。中国の簡体字には、「週」はありません。「周」だけ。康煕字典の「週」の説明はたったの3文字、「與周同」(周と同じ)。「一週間」が東アジアで制度化されたのはとても新しいので、「week」という概念を表す漢字が存在しないのは、考えてみれば当然のことです。日本でも明治維新以降で、たかだか150年程度の歴史ですが、しかし日本は「週」を「一週間」専用の字として定着させているのです。中華圏で「week」を表す語は「星期」または「礼拝」。

印刷体のしんにょうには、香港と台湾では3種類が使われています。一点「⻌」、二点「辶」、そして筆記体に似た、一点でギザギザの「⻎」。これらは活字のデザインによる違いなので、一つのフォントにどれか一つというのが基本ですが、同一の字のしんにょうが新聞の一つの面で、例えば大見出しでは一点、小見出しでは二点、本文ではギザギザ、のようにフォントごとに3種類の形で現れることもありうるわけです。日本の、常用漢字表および表外漢字字体表に依拠した、文字ごとの一点・二点の違い、といった類のものではありません。香港では漢字の字体に一応の基準はあるものの、異体字は無理やり統一しないという緩やかな方針で、これは、多様な異体字は漢字の本性、簡単にはなくせない、といった自然な漢字観が下地にあるはずです。その通り、確かに香港は異体字の宝庫。これにはまると香港生活は実に楽しいものになるのですが、もったいないことに多くの人は無関心、「20周年」と「20週年」の違いにすら気付きません。実は香港で、もう一つ、しんにょうの異体字を目にすることがあります。物流大手、日本通運のマークの「通」の、超(!)旧字体のしんにょう「辵」。これぞまさしく、⻌、辶、⻎、のご先祖です。

香港ではほかにも、豆と荳、麻と蔴、佈告と布告など「部首付き」の異体字が、使われたり使われなかったりします。「蔴」はマージャン屋の看板でよく見ますね。「荳」は、陽光の豆乳と、同じくコカ・コーラ系列の「Qoo」の豆乳の字「荳奶」(=豆漿)、など。ライバル、維他䑊は草冠なしの「豆䑊」。ちなみに「陽光」というのは往年の「HI-C」(ハイシー)のことで、かの果汁入り清涼飲料水ブランドの香港での名前です。日本から姿を消して久しいので、ハイシーと聞いて子供の頃が懐かしい、涙が出そう、という中高年の皆さんはこの機会に香港でぜひ。

香港の漢字の使い方には、一方で、厳格な一面もあります。台湾では特に区別しない「占」と「佔」、香港では前者が「うらなう」で後者は占領・占有など「占める」の意味、…などが代表例。「蛋卷」のパッケージの字が「蛋捲」(扌+卷)となっていたら、まず間違いなく台湾のメーカーが作った輸入品です。台湾訳『君の名は。』では「車体の巻き起こすぬるい風」が「車身卷起的暖風」で、こちらは「捲」ではなく「卷」になっているのですけどね。

前回はこの「捲」の字が主役(?)で、数えてみたらなんと32回も出てきていたのですが、校正のときに見て仰天、全ての「捲」が、拡張新字体の「捲」(右下が「己」)に化けていたのです。卒倒しそうになりました。「綾辻行人」の二点の「辻」(←執筆中の今、二点しんにょうで入力しています。二点の「辻」は日本国の「印刷標準字体」です)が紙面で一点に化けてしまうのはやむを得ないとしても、拡張新字体について書いている文の文字自体が拡張新字体になっているなんてしゃれにもならない、というか文章そのもののロジックが破綻してしまうので、さすがにこれは修正をお願いした、という次第です。平成12年12月、消滅まであと1か月を切っていた国語審議会がまとめ上げた表外漢字字体表、これを見て、きっと混乱の種になるぞ、と思ったことがまさに現実となっているわけで、この表の印刷標準字体1,022字のうちの一つが、ほかでもない「㔾」の「捲」。「己」の「捲」は、すでに、古い「新字体」なのです。しかし…、薬、齢、弾、晴、圏…には新字体「楽・歯・単・青・巻…」を使うのに、「がれき」は「瓦礫」、「そご」は「齟齬」、セミは「蟬」でサバは「鯖」、そして競輪の「まくり」は「捲り」、旧字体「樂・齒・單・靑・卷…」を使いましょうね。って、こういう使い分け、うまく行くのでしょうか。とにかく、表外漢字を使うときは要注意。まだまだ化けます。化かされます。ちなみに「狐」と「狸」も表外漢字です。

大沢ぴかぴ

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