花樣方言 各言語による「茶」の発音

2015/05/27

<お茶の話>

急須とお茶と和菓子お茶は中国で紀元前から飲まれていたようですが、「茶」という漢字ができたのはずっと遅れて、唐代です。だから三国志をテーマにしたドラマに茶屋のようなものが出てきて「茶」と書いてあったりするのは時代錯誤で笑えます。日本には平安時代末期の辞書に「チヤ」というカナが現れ、やや遅れて、鎌倉時代以降に伝わった「唐音」とか「宋音」と呼ばれる漢字音の時代には「さ」になります。喫茶(きっさ)、日常茶飯事(さはんじ)などの「さ」。宋代以降の発音をうつした、主に禅僧や商人が伝えたこの唐音・宋音の語彙には、現在の日本の生活でもよく使うなじみのある言葉がたくさん含まれています。椅子(いす)、扇子(せんす)、箪笥(たんす)、蒲団(ふとん)、提燈(ちょうちん)、暖簾(のれん)、西瓜(すいか)、饅頭(まんじゅう)、羊羹(ようかん)、杏子(あんず)、瓶(びん)、和尚(おしょう)…。
「茶」は中国語で「チャ」、だから日本語でも「ちゃ」、などと短絡的に結びつけるのは大間違い。平安末期の「チヤ」は、中国語の「茶」の古い発音「ティヤ」をうつしたものです。その後中国では発音が変化して「チャ」となりますが、これをうつしたのが鎌倉時代の「さ」。日本語で「さ」と読まれる「差」「査」「叉」などは中国語で(現代の北京語や広東語でも)「チャ」、昔の日本人は中国語の「チャ」の音を一様に「さ」でうつしています。昔の日本語には「チャ」(cha)という音がなかったため、比較的近い音である「さ」(昔の発音ではシャ)をあてたのです。平安時代の人が「チヤ」と書いた場合、この発音は「ティヤ」(tya)。「チ」という字は現在の日本語では「チ」(chi)と発音しますが、昔は「ティ」(ti)ですから。「たちつてと」はta.ti.tu.te.to(タ・ティ・トゥ・テ・ト)、「さしすせそ」はsha.shi.shu.she.sho(シャ・シ・シュ・シェ・ショ)と読んだのです。日本人が「さ」とうつした中国語の「茶」(チャ)は、北京語や広東語など、中国の広い範囲で現在も「チャ」に近い音で言われています。「チャ」と変化せず「ティヤ」に近い古い音で残った地域が福建で、現在の閩南語の「テ」や閩東語(福州語)の「タ」となっています。閩南語の「テ」がオランダの東インド会社によってヨーロッパに持ち込まれ、オランダ語のthee、フランス語のthe、スペイン語のte、英語のteaなどになり、ベトナム語、タイ語、チベット語、韓国語など近場には「チャ」が伝わり、モンゴル語、ペルシャ語、トルコ語、ロシア語などは「チャイ」、このように世界の「茶」は「t-」の系統と「ch-」の系統に二分され、くしくも中国語の「t-」「ch-」という、時代と地域による発音の差をうつしたような形になっています。
…と、ここまでは多くの人が知っている話。問題は、モンゴル語やペルシャ語やトルコ語やロシア語やブルガリア語やルーマニア語などの「チャイ」。「チャ」に付いているこの「イ」は、何なのでしょう。中国から東ヨーロッパへとつながる陸地にある言語では、キルギス語でもカザフ語でもハカス語でもエベンキ語でもネギダル語でもネネツ語でも、ことごとく「イ」が付いているのです。モンゴル語経由の「茶葉」(チャイェ)が起源だとする説と、ペルシャ語の文法的要因によって生じたとする説があって、今でも著名な百科事典などに引用されていますが、橋本萬太郎博士はすでに30年前にこれらの説を否定しています。もっともっと古くからアラビア語では「イ」が付いていた理由などについても説明できなければなりませんから。
「ch-」で始まっていても、ベトナム語やタイ語など近隣諸国の「イ」のない「チャ」が比較的新しい時代に伝わったものであるのに対して、ユーラシア大陸の「イ」のある「チャイ」は、とにかく古いのです。ならば発想を転換して、「イ」という音はあとからどこかで付いたのではなく、もとから中国語でこう言っていたのだ、と考えるのが妥当です。日本に茶が伝わるもっと前の中国語では「ティヤイ」のような発音であり、これが中央アジア~東欧へと伝わった「チャイ」の正体。そして本家の中国語ではのちに「イ」が脱落して「ティヤ」「チャ」となった、というわけです。

言語学、方言学ではときに、逆転の発想が必要。どちらが古いのか、ということがカギになります。日本には東北、北陸、近畿、山陰、九州などあちこちに、「背」を「しぇ」、「風」を「かじぇ」のように言う地域がありますが、なぜでしょう。田舎だから訛ってるのだ、という考えは非論理的で、お互い遠く離れた不連続的な地域に同じ発音がちらばっている現象を科学的に説明できません。答は、すでに書いた通り。昔の日本語で「せ」は「シェ」だったので、「背」(しぇ)、「風」(かじぇ)という発音のほうが古いのです。「セ、ゼ」が田舎で「シェ、ジェ」に変化したのではなく、逆に、関東、江戸の訛りが「セ、ゼ」であり、これが全国的に広まって、「シェ、ジェ」という本来の発音が遠隔地にのみ残ったのです。「じぇじぇじぇ!」…これも、流行語と呼ぶには…、とても古い発音なのです。
大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

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