花樣方言 北京語の語源

2014/12/02

Vol.58<北京語の話>

vxv北京語という言葉は、いつごろできたのでしょう。それは、はるか昔、北京原人の時代です。…と、いうのはウソ。冗談です。そもそも北京原人というのは北京人の祖先ではなくて、現在の人類の誰の祖先でもなくて、われわれホモ・サピエンスとは種(しゅ)が違うので、言語学の埒(らち)外なのです。以前、アウストラロピテクスの言語を研究しておられるという方が、再現したアウストラロピテクスの言語なるものをご自身でしゃべって聞かせてくれたことがあります。う~とうなってるようにしか聞こえなくて、こちらも思わず、う~とうなってしまいましたが。

北京語は新しい言葉で、成立時期はせいぜい明から清にかけてです。2千年近い歴史を持つ広東語の場合、広州を機軸にして、広大な広東語の方言圏ができています。歴史が千5百年という東莞など近隣地域には、広州の広東語から分離して長き年月を経てずいぶん形の変わってしまった方言があり、香港や広西など遠方には、広州から広東語が伝わってまだ百年ちょっとという、広州と差異の少ない広東語が分布します。こういう周圏構造を持つ広東語に対して北京語は、フランチャイズがとても狭くて、北京市の中心部といくつかの飛び地のみ。つまり、河北省、山東省など周辺の言葉とは同じではない、ということです。北京語を取り巻く、石家荘、済南、天津などの「冀魯官話」、鄭州、洛陽、西安などの「中原官話」、青島、大連などの「膠遼官話」は、「北京官話」から分かれてできたのではないのです。

北京語で、「黒」「福」「匹」「室」の4つの字を発音してみましょう。hēi、fú、pǐ、shì。それぞれ、第1声(高く平ら)、第2声(上昇)、第3声(低い)、第4声(下降)、全て別の声調です。ところが済南などの冀魯官話では、この4つはみな同じ声調で、一様に第1声(済南語の第1声は低く下がる)になります。青島などの膠遼官話では、やはり4つとも同じ声調ですが、みな第3声(青島語の第3声は高く平ら)になります。蘭州などの蘭銀官話では全て第4声、成都などの西南官話では第2声です。このように中国語の方言は声調の違いによって容易に分類できるのですが、そうすると、北京語の定義はどうなるのでしょうか。まさにこの、黒、福、匹、室の声調が4つとも違っている、ということになるのです。この特徴が、北京語か否かを分ける決定的な決め手となります。そして、この特徴は「普通話」にも踏襲されています。普通話は北京語の変種に過ぎないというゆえんは、こういうところにあるのです。

黒、福、匹、室の4つは北京官話(や東北官話)以外の言葉においてはみな同じ声調。昔からずっと同じ声調です。北京語でばらばらになってしまったのは、北京語が、冀魯官話や膠遼官話や蘭銀官話など他の官話方言が混ざり合ってできた混交語であるからだろうと推定できます。各地から違う方言を話す人たちが大勢集まる、都の言葉だったので。ところでこの、方言の識別に役立つ、黒、福、匹、室…とはいったいどういうまじないなのかというと、広東語のできる人ならわかりますね、これらは、黒(ハッ、hak)、福(フッ、fuk)、匹(パッ、pat)、室(サッ、sat)と、「入声韻尾」と呼ばれる末尾子音(ッ=-k、-t、-p)を持つ「入声」のグループに属します。入声韻尾は広東語でも客家語でも閩南語でも、また、若干磨耗してますが上海語でも、南部のほとんどの方言で保持されていますが、北部の官話系方言ではことごとく失われています。入声韻尾が消失した後、どの声調に吸収されたかが地域によってそれぞれ異なるので、それで方言ごとの差が生じたのです。

入声韻尾を持っていた語でも、毒、白、舌、罰、などは、一部の例外を除いて全ての官話方言で一様に第2声になります。北京語でもみな第2声。これらは昔の中国語で濁音だった語群です。濁音・清音の区別は、上海語や蘇州語など呉語の地域では保たれていますが、他のほとんどの地域で失われ、声調による区別へと置きかえられています。日本では現在も奈良時代以前の坊さんの教えを律儀に守って、毒「ドク」、白「ビャク」、舌「ゼツ」、罰「バツ」と濁音で読み続けています。南京語は、官話方言ですが入声韻尾を失っておらず、第2声への統合が起こっていません。明朝のとき首都が南京から北京に移り、移住者が多く、当初は言葉の影響力もあったのですが、清朝以降、それも途絶えます。北京ダックも本来、南京から伝わったもの。南京ダックと言い改めろ、などという抗議の声は、ないのでしょうかね。ちなみに「官話」(マンダリン、官僚の言葉)という呼び名は、明のころ華南地域に来ていたヨーロッパの宣教師が付けたもの。朝廷からつかわされてくる華北の役人の言葉が華南の地元民の言葉と異っているのに気づいて、こう呼んだのです。

言語は、基本的に、無意識の産物です。話している本人たちは声調の体系も入声韻尾の仕組みも全く認知していないわけですから、ホモ・サピエンスの脳とは何と摩訶不思議なのでしょう。アウストラロピテクスの、う~としか言わせてくれない脳より、はるかに複雑で高度な作りなのでしょうね。

大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

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