なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第10回

2021/03/24

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世界中で注目されている
日本人特有の性格や行動の数々。

それらの由来は武士道精神にあった。

しかし、肝心の日本人にその武士道精神が
浸透していないのが日本の現状である。

筆者が外国生活を通して感じた
日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの
武士道関連文献をもとに紐解いていく。

 

 

 

 

 

 

 第10回 今日に賭けた者たち ~武士と三島と妻~ 

 先日、妻と口論になった。妻との口論は我が家にとっては恒例イベント的に開催されており、今では2歳半の娘が「またか」と私たちの間に入って止めようとするくらいよくある光景となっている。

 で、今回の口論の理由は妻は私の未来先行型の考え方に納得がいかなかったというところにある。

 どういうことかというと私は過去の出来事にあまりこだわらず、明日のことを考えて今日を一生懸命頑張るタイプの人間であるのに対して、妻は過去の出来事一つ一つにも分析を施し、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかというプロセスに結論を出したうえで今日の活動に生かすタイプなので、次年度の給料の話とか株価の上がりそうな会社とか40年後の貯金の話とかばかりをしている私が気に食わなかったのだろう。

 妻も私も今日を一生懸命頑張るという点では考え方は一致しているのだが、過去があって今日があると考える妻に対して今日があって未来があると考えている私はときどき彼女の過去へのこだわりが不必要に聞こえてくる。もちろん、妻も未来のことは考えているし、私も過去から学ぶべきことがたくさんあることは認めているのだが、過去と未来のそれぞれに割く時間の割合というかエネルギーがお互いに異なっているのである。

 

 現在の一瞬一瞬への全精神と全肉体の投入は、決してそこの一点のみにとどまらず、自己を現在へつなぐ過去の意識を越え、潜在意識さへ越え、自己の属する時代をさへ越えて、すはなち近代的思考や意識のあらゆるものを越えてまで、そこに一つの現在の結晶が成就されるといふのが私の考へである。私の仕事も行動もすべて、『葉隠』ではないが、朝起きたときに今日を死ぬ日と心にきめるといふところに成立している。したがって現在は死のための最終的な成果であるがゆえに未来は存在しない。

(角川文庫「美と共同体と東大闘争 三島由紀夫・東大全共闘」より)

 

 戦後の日本における代表的な武士道体現者の一人である三島由紀夫は1969年5月13日に東京大学での全共闘との討論会を振り返り、過去・現在・未来の時間の連続性について上記のような考えを記している。

 彼にとって未来とは形のはっきりしない、つかみどころのないゼリー状のものであって、そこに全力を尽くし、未来の自分や日本に賭けることは不安であると考えていた。ゼリー状のもの(未来)に全力でパンチをするのと、かっちりとした塊(過去)に全力でパンチをするのとではその破壊力の効果は歴然としているということである。

 10年後に自分がこの道を右へ行くか左へ行くかは到底現在の自分では分かりえないというのは、現時点で現在の自分と未来の自分につながりがないわけだから当然であり、一方で今右と左のどちらに行くかの判断は自分の過去の経験からセレクトされるわけだから、現在の自分と過去の自分を切り離して考えることはできないというのが彼の考えであった。また「文化遺産」という言葉を嫌い、文化や伝統とはいつも私たちの身体の中に流れているものであり死物ではないと主張していることからも、三島由紀夫が過去とのつながりを常に意識していたことが分かる。

 

 そう考えると、将来いつの日か自分史上ベストな自分になるために今日を頑張っている私と、過去の自分を越えて今日を自分史上のベストにするために今日を頑張っている妻とでは、現在に対して発揮できるエネルギーの量が異なってくるのかもしれない。もちろんより多くのエネルギーを発揮できているのは後者の方である。

 未来という得体の知れないものに賭けるのが男の浪漫だ!と言うのは女性にとって最も理解不能なデタラメで、人生はそう甘くはないことを知っているのはいつも女性の方である。そもそも未来というものは自分の存在や成功に関わらず自然と作られていくものだと三島由紀夫も言っている。

 

 妻も三島も過去はしっかりと現在の自分に繋がっていると考えていた。過去を断片的に見てしまう傾向にある私にとってその考え方は分かっていても体現することは難しい、夢見る少年は良い夢を見るためにどうしても都合よく過去を切り離してしまうからだ。過去を以って今日を考え、今日に全力を尽くせるようになれば夫婦喧嘩もちょっとは減るものかと、今この原稿を書きながらふと思うのである。

 


profile筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。

 

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