ドガとバレリーナ

2018/02/20

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エドガー・ドガ(1834-1917)は19世紀のダンサーの現実を捉えた数多くの絵画や彫刻を制作し、踊り子達に与えられた痛みと、そこに生み出される美に魅了された画家である。

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裕福なイタリア系の家庭に生まれたドガは、若い頃から芸術的才能を認められていたが、画家としてのスタートは早い方ではなかった。1853年の卒業時に文学の学士号を取得した18歳のドガは、ルーヴル美術館にコピーライターとして登録した。後に彼は、この時期の経験が芸術家としての基盤になったと語っている。

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1850年台後半にイタリアを訪れた際に見たフレスコ画に彼は強い影響を受け、手帳に多くのスケッチと図面を描き留めた。1865年、ドガはサロンに”The Misfortunes of the City of Orléans”を出展して以降アカデミックな題材はやめ、1870年台以降は現代生活、主に競馬やカフェで歌う歌手、バレエダンサーなど、都市の娯楽を題材に描き始めた。

当初歴史画家としてキャリアをスタートさせたドガだったが、自らをリアリストと認識しており、印象派の1人という認識を完全に受け入れたことはなかった。ドガはモネやルノワール等の印象派の画家達と密接に協力していたが、彼らと違ってドガは、都市の光景、人工的な光、自ら設定したモデルやテーマの構図を好んだ。日々の生活、人間の身体のリアルな動きを表現したかった彼はバレエダンサーに加え、バーや売春宿、殺人事件の現場までも描いている。

ドガがパリ・オペラ座バレエ団の踊り子達に興味を持つようになったのは、下級クラスや少女の踊り子たちは身体にフィットした服で人に動きを見せるのに慣れており、描きやすかったからからだと考えられている。彼女達の多くは夜に働き、過酷な生活を送りながら自立していた。

フランコ・プルシア戦争の従軍による目の負傷で、1880年代後半からドガの視力は衰えていったが、ダンサーと、周囲を気にする様子なく入浴をする裸婦などのヌードにテーマをしぼって制作をするようになる。女性達の何気ない行動を、彼はポートレイトのように、かつ彫刻のように描いた。1870年代後半、ドガは絵画の長いキャリアを経て彫刻に取り掛かった。パリオペラ座のバレエ学校で会ったモデルを使い、若いバレエダンサーの彫刻を時間をかけて制作した。

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1881年の印象派展に出展されたその彫刻、”14歳の小さな踊り子”(The Petite Danseuse de Quatorze Ans)は、たちまち話題の的となり、美術評論家のポール・
ド・チャーリーは「並外れたリアリティ」と称賛し、偉大な傑作と評した。

ドガの偉大さは、公的な空間にいる人間という動物のプライベートな瞬間を見失うことなく、テクニック、触覚的な複雑さ、洗練さとその暗黙のエネルギーを、彼の時代の誰よりも極端なレベルまで探求した能力にある。ロマンチックな感性と彼の古典的なコマンドを融合させ、官能的な感覚を、控えめな観察と視覚的構造の主張と融合させることに成功した稀有な画家の1人である。

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