香港サッカー 楽山孝志選手が現役引退を発表

2014/01/20

サッカーの裏方。表舞台を語る。【第23節】

2013年12月29日の夜、楽山孝志選手が自身のブログで現役引退を発表した。楽山選手の現役最後の所属先となったチームは、元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が率いた深セン紅鑽となった。

深セン紅鑽は、中国の最上カテゴリーが中国超級(中国スーパーリーグ)に名を改めた最初の年に王者となった名門で、ユニフォーム左胸のチームロゴには、初代王者の証しとしてひとつの星印が輝いている。

トルシエ監督が深セン紅鑽を率いた3年間、楽山選手は常にピッチの中央に君臨していた。チームが中国超級を戦っていた2011年シーズンに挙げた1ゴールは、中国超級史上に残る日本人選手による初ゴールとなった。

その年は楽山選手の奮闘も空しく、チームはリーグ最下位に沈み甲級(2部)に降格。降格の責任を免れないであろうトルシエ監督と、所属する外国人選手達の一斉退団が噂されたが、その後トルシエ監督と楽山選手は甲級に沈んだチームに残ったのだ。

2012年と2013年のシーズンは、共に超級昇格を目指す戦いの場となったが、甲級を戦う立場となったチームの運営予算が厳しく削減された影響と、主力選手や有望選手の離脱や負傷も相次いだ事で、ついに超級昇格の夢も潰えてしまった。

2013年シーズンのリーグ最終節から程なく、トルシエ監督の退団(3年契約の満了による)がチームから発表され、単年契約を2度更新していた楽山選手の契約も更新されず、来シーズンの所属先が未定となっていた。

筆者が楽山選手を本格的に応援し始めたのは、2012年シーズンが終わった直後からで、現役最後の1年となった2013年は、深センの宝安体育場での主催試合観戦の側ら、他の指導者や選手との会食の場を設けたり、親善試合のマッチメークなどを介して親しくさせてもらった。

ブログで引退を発表した当日の午後は、深センの蛇口にあるフットサル場で一緒にボールを蹴っていた。その日までは現役の続行を心の隅で願っていたのだが、既に現役引退の意思が固まっていたようで、夜のブログ更新を目の当たりにした時は、とても残念な思いが巡ってしまった。楽山選手は深セン紅鑽で3年間プレーした。これは中国のプロサッカーリーグでプレーした日本人選手としての最長記録である。

これから第二のサッカー人生を歩み出す楽山孝志氏。現役引退の地となった中国での貴重な経験を、存分に発揮してほしいと思う。誰にも真似できないこれからの価値ある活動の大成功を、心からお祈り申し上げる。【楽山孝志所属略歴】吉島SSS~FCひがし~清水商業高校~中京大学~ジェフユナイテッド市原/千葉(J1)~サンフレッチェ広島(J2/J1)~FCヒムキ(ロシア1部)~深セン紅鑽(中国超級/甲級)~引退

【楽山孝志オフィシャルブログ】
http://ameblo.jp/takashi-rakuyama

≪つづく≫
文/池田宣雄

楽山孝志

 

香港紫荊會有限公司

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