新しい事を始めた人、始めた事特集 Part1

2018/06/25

橋本一聿彦新しい事を始めた人
橋本一聿彦さん

始めた事
日系企業で香港初の ユニフォームレンタル事業

 

 

PPW:まずは、橋本さんの学生時代やこれまでの経歴、日本本社の社歴などを教えてください。

橋本:法政大学では試験が主だったので、学校にはあまり行かなかったですね。ただ、「あかん、単位足りてないやん!」といった試験に追われる夢を今でも見ます。学校には行かない反面、サークルのスキーにはかなり打ち込みました。夏場はアルバイトでお金を貯めて、冬はスキーに明け暮れてた大学生活で、香港へ来る直前までスキーは続けていました。性格的なキャラクターとしては、小学校から友人に言われ続けてきたのですが、面白い変な人に映るようです。恐らく天然な部分があるので、それがその様に映るのでしょう。1996年に大学を卒業した後は、東京のアパレル会社で勤務し、3年後に出身地の兵庫にある父親が経営する業務用ユニフォーム会社へ入社しました。この会社は明治24年に私の曾祖父が創業した会社で、社名をカクテン屋と言います。当時は漢字を使用して角が立たないような丸みを帯びた社名が多い中、カタカナで【カクテン屋】と名付けたのは、革新的な物を常に目指すと言う曾祖父の意思の表れだったのだと思います。当社は、明治創業時には足袋を製造していましたが、その当時、外国船が頻繁に入港する神戸港には多くの外国人シェフが降り立っていました。そのシェフたちの着用していたコックコートを真似て製造しはじめたことが足袋からユニフォームへ業態を転換するきっかけとなります。横浜や長崎にもその様な会社があったとは思いますが、神戸では恐らく弊社が初めてコックコートを作った会社ではなかったのでしょうか。

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姉との写真。神戸の三宮に住んでいた幼稚園くらいのときは近くにある六甲山までいってました。

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幼稚園くらいまではかなり太っていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生くらいになるとずい ぶんスリムになってきました。 このころは三宮にある生田 警察の剣道学校へいって いたかなあ・・・

小学生くらいになるとずい ぶんスリムになってきました。 このころは三宮にある生田警察の剣道学校へいって いたかなあ・・・

弟と生田神社で。生田神社は藤原紀香と 陣内が結婚式を挙げたところで有名に なりました。

弟と生田神社で。生田神社は藤原紀香と陣内が結婚式を挙げたところで有名に なりました。

神戸の人たちが夏場に良く行く 須磨海水浴場砂に埋まるサウナ 感が気持ちよかったです。

神戸の人たちが夏場に良く行く 須磨海水浴場砂に埋まるサウナ感が気持ちよかったです。

弟と自宅内かな。中学くらいだと思い ますがこのころは卓球をやっていました。 このころには弟の学力が私をすでに抜いていたと思います。

弟と自宅内かな。中学くらいだと思いますがこのころは卓球をやっていました。 このころには弟の学力が私をすでに抜いていたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PPW:新しく創められた事とは何でしょうか?香港ではそのサービスはどうして革新的なのでしょうか?そのサービスを香港で始められた理由は何ですか?

橋本:日本でも以前は企業の従業員が着用するユニフォームはその都度購入され総務の人たちが入退社に応じて管理していました。さらにクリーニングが必要な企業では日々の労働後に汚れたユニフォームをクリーニング会社と契約して清潔にしてもらっていました。それら購入の手間、入退社の在庫管理、クリーニング会社との交渉といった企業側の購買プロセスを当社はユニフォームレンタルという仕組みでひとつにまとめることができ、企業の総務は入退社の連絡を当社へ連絡するだけとなりました。新人のユニフォームは個人名がマイクロチップで埋め込まれたシールが識別用として貼られて届けられ、退社のユニフォームはクリーニング回収時にクリーニング工場で回収され、個人単位で1ヶ月のクリーニング状況が把握できるデータがあるので衛生管理に役立てることができます。弊社から顧客へ「Aさんは今月1回もユニホームをクリーニングに出していませんよ。」などの連絡を差し上げる事ができるのです。このサービスを2016年から香港でも開始することとなり年々新しい顧客と契約ができるようになってきています。香港では家賃や人件費の高騰のためこういった企業のユニフォーム管理は外注化にして企業は本業に専念してもらうきっかけができればと考えます。

 

PPW:始めてみて、何か壁にぶつかった事はありましたか?大変なところと、やりがいを教えてください。

橋本:まず、海外進出する際に、JETROさんの支援プログラムに応募して申請が通過して、援助対象になることができました。専任の方をひとり付けて頂き、どの国でスタートするのが望ましいかを色々と視察に行きました。中国内では、工場の中に洗濯場があり、洗濯専門のスタッフが工員のユニフォームを洗うという仕組みが主で、人件費的に見てそちらの方がコスト的に安く収まる為、まだまだ市場としては時期早々と判断しました。シンガポールや台湾も見に行きましたが、ユニフォームレンタルの市場としては同様にまだ時間が掛かる気がしました。そんな中、香港では日清食品さんのご紹介で、現在協業をさせて頂いているクリーニング工場を知る事になります。通訳さんを通して面会を求めましたが、最初は断れられたものの、3回目の電話で何とか面会にこぎ着けたました。すると向こうも丁度クリーニング業だけではなく、ユニフォームのレンタルにも興味を持ち始めた時期だったのです。それから話がとんとん拍子で進み、工場内に私のオフィスも設けて頂く形で協業がスタートしました。それから新規顧客開拓で動きだすのですが、やはり香港ではテレアポが敬遠されるという事が大変でした。今でも飛び込み営業は続けておりますが、「変な北京語話す日本人が来よった」と営業先には映るらしく、逆にそれが警戒心を解く事に繋がり、「次回、通訳も連れて来るから、アポ取らせてや~」と口約束を結んでは、地道に本営業に繋げています。あとは、ユニフォームに付けるデータを読み込む機器を香港で探すのが大変でした。電波法が日本と香港とで異なる為、日本の機器を香港に持ってくる事ができず、香港の電波を読み込む機器を探すのに時間が掛かりましたね。

清潔が保たれる荃湾にあるクリーニング工場で始めたのが ユニフォームレンタル業です。

清潔が保たれる荃湾にあるクリーニング工場で始めたのが ユニフォームレンタル業です。

チップのデータを読み込む機械を香港で探すのに苦労しました。

チップのデータを読み込む機械を香港で探すのに苦労しました。

ユニフォームに 埋め込まれるチップ

ユニフォームに 埋め込まれるチップ

 

PPW:ずばり、この事業にかける想いを教えてください。

橋本:私達がまだ、パソコンやインターネットを使う前の時代には、誰しもが「こんなパソコンなんて、使っても意味があるのかな?!」と思っていたと思いますが、今は皆さんの生活には無くてはならない物になっていますね。それと同じように弊社のユニフォームレンタルのサービスも、ほんの少しだけコストを上げるだけで、総務部の方々が楽になり、企業も煩わしいユニフォーム管理から解放される事を、ここ香港や海外で広めていきたいと考えております。飲食店や工場関係の皆様、ご興味をお持ちになられたら是非ご連絡をください。

PPW:ありがとうございました。

注釈:掲載写真の説明は橋本氏より

 

 


橋本一聿彦さんプロフィール
1973年3月8日生まれ。兵庫県西宮市出身。新界荃湾在 住。趣味はフィットネス通い、ゴルフ。週末は荃湾のB 級グルメを開拓中。

YAMATO UNIFORM RENTAL LIMITED
住所: Unit 301, Sun Fung Industrial Bldg., 8-12 Ma Kok St., Tsuen Wan
電話:(852)9126-2860
ウェブ: www.yamatohk.net

 

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