特集:祝Sagrantino Italian Restaurant 10周年記念 特集 3

2017/09/20

フリーライター鳥丸雄樹の書き切りコラム
オーナーシェフが語る
イタリアンに目覚めた訳と不揃のボロネーゼ

文:鳥丸雄樹
取材が早く退けた夕刻に、僕の足は中環にあるイタリアン『Sagrantino』に向かっていた。そう、今日は何だか無性にイタリアンが食べたい気分。しかもイタリアンでも、一般的なメニューが食べたかった。日本人のオーナーシェフ安田さんが切り盛りするこのお店には、セントラルという立地もあってか来店客の人種も様々だ。恋人や友人と、そして家族や顧客と来る人もいれば、僕の様に独りで、ふらっと寄ってはグラスワインとお気に入りのパスタをあっさりと平らげて帰路につく人もいる。ローマに良くあるタイプの内装をイメージした店内には赤レンガが積まれ、ちょっぴり暖かみがある雰囲気を醸し出すのだが、これが安田さんの人柄から来るものなのか、どうなのか。テーブルにつきグラスワインを注文し、時計を見れば時刻は18:58。ピーク時ともなれば、厨房で鍋を忙しく振るう安田さんだが、この時はまだ早い時間ともあって、僕と話をする余裕があるようだった。大きなガラス窓を背に立つと、ガラス窓が鏡の様に安田さんの背中を映し出す。Tシャツの背中にはプリントされた『Sagrantino』の文字。ツマミも注文せずに煽っていたワインが回りだしたのか、その背中の文字を見つめながら、僕はふと安田さんに質問を投げかけていた。Sagrantinoを始めた背景には何があったんだろうか・・・。

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エマリオロマーニャ地区にある家族経営のトラットリア『イルポッツォ』直伝のボロネーゼ

「そう言えば、どうしてイタリアンのレストランを始めようと思ったんですか?」一瞬の間を置き、安田さんが答える。「実は脱サラした後、ラスベガスに渡り、現地の大学で飲食やサービス業に関わる事を学んでいたんです。」へ~意外。でも何でイタリアではなく、アメリカなんだろう。もしかして、リトルイタリーで修行したとか?「少しでも学費と生活費を稼ごうと、学課が終われば、近くのレストランでアルバイトに明け暮れました。始めはお寿司屋の皿洗いとか、マックの店員とか・・・。そして、最後に行き着いたのはヒルトンホテルの中にあるイタリアンレストランだったんですよ。」 おっ。ちょっと物語の兆しが見えてきた。ラスベガスということもあり、出稼ぎとして働くメキシコ人がレストランでも多く見受けられ、そのレストランにおいて安田さんも例外ではなく皿洗いの日々が続いたそうだ。トップのシェフはイタリア人のアントニオ。その下に4人のアシスタントシェフ。そして、その下に仕込みやら、盛り付けやらと業務的には何でも屋の『スーシェフ』10名と、見習い達がいたらしい。「まあ、私が居た所は中級のレストランで、チームとしてスーシェフだろうが、トップシェフだろうが、空いていたらみんなで手伝うという雰囲気があったんですけどね。メキシコ人は、ちょっと注意されただけで、すぐに辞めちゃうんですよ。そんな中で私はいつかレストランを開きたいという想いがあったもんだから、ちょっと理不尽な事を言われても無我夢中で続けていたんです。お皿を洗いながら、盛り付けを盗み見て、目に焼け付けたり、メモをしたり。不思議ですね。そんな日が続くと人って信用が付いてくるものなんですよね。トップシェフのアントニオが、『ジャポネーゼ(日本人)は、まじめに働く』って言うようになったんです。

転機が訪れたのはそんなある日の事。ベネチアンかどこかの大きなホテルのレストランで働いていたアメリカ人シェフが入店した時だった。『スーシェフ』として入ったそのアメリカ人のシェフは、「野菜や材料を刻んだりするのは、俺様がやる仕事じゃない!」と言い出したのだ。チームワークを大切にするトップシェフのアントニオはそれを聞いて激怒し、「お前なんて、いらん!辞めてしまえ!明日からタッカァ~シ(安田さんの名前:たかし)が『スーシェフ』だ!」とみんなの前で公言してしまったのだそうだ。「ヨーロッパ人は、アメリカ人の事が嫌いだから・・・。」と謙遜する安田さんだが、皿洗いの時に得た信用があったからこそ、安田さんが『スーシェフ』になれた事は明白だった。

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それから数ヵ月後、アントニオの下で経験を積んだ安田さんは、イタリアへの航空チケットとアントニオの推薦状を手にしていた。アントニオの紹介で初めて訪れたのは、ボローニャ地区のレストラン。だが、ここでは「今は職に空きがないから、ダイアナという店に行け」と言われてしまう。その後、ボローニャ駅の直ぐ裏手にあるリストランテ・ダイアナで入店を許されるが、皿洗いの日々が続いたそうな。「でも、ここでも皿を洗いながら、料理をじっくり観察して研究していました。皿を洗っている横を料理がバンバン出て行ってましたから勉強になりました。」との事。

そして、3軒目もアントニオの紹介として入店に成功。ボローニャのすぐ隣エマリオロマーニャ地区にある家族経営のトラットリア『イルポッツォ』がそのお店。「ここでは、いろいろやらせてもらえて、鍋も振らしてもらいました。『給料は要らないから住込みで働かせてくれ!』って真剣に取り組んでいたら、本場のボロネーゼの作り方を伝授してくれたんです。」照れ臭そうに言う安田さん。でも、給料要らないって姿勢がすごい!何でも、その店のシェフ達はみんな中華包丁くらい大きな包丁を両手に持たされて牛肉の塊をミンチにしていたそうな。機械にかけてミンチにするよりも、不揃の挽肉の方がソースが良く絡む。そうか!サグランティーノのボロネーゼの美味しさの秘密はここにあったんだ。確かに濃厚で奥深い味わいが後を引く。初めてサグランティーノのボロネーゼを食べた時に思ったのだが、自分で作る挽肉を使用したパスタや他店のパスタに比べて、サグランティーノの挽肉はちょっと不揃で尚且つ大振りだ。「じゃあ、挽肉にするところから、仕込んでいるんですか?」包丁を二刀流で振るう仕草をする安田さんに聞いてみる。「実は、今でもボロネーゼの仕込みだけは誰にもやらせていないんです。イタリア人ってベーシックの中で違いを出していくんですよね。『俺のボロネーゼはこうだ!』とか、『俺のカルボナーラはここをこうするんだ!とかって具合にです。」そして、決め手はソース。イルポッツォ直伝の作り方は、まず鍋にはオイルもバターも何も入れずにいきなり挽肉を投入するんだそうな。そして、カラッカラになるまで水分を飛ばして挽肉の中に旨みが凝縮するまで待つらしい。その次に野菜を入れて、ここでもまた水分を完全に飛ばして、それからようやく赤ワインを入れる。既に3工程目で手間が掛かっているのだが、ここで香りを嗅いでみて、ワインの風味が完全に無くなったのを確認してから、ようやくトマトソースを入れる。この全工程が約2時間ほど。うわ~、これは美味しいはずだわ。そんな逸話を聞いていると、エレベータの音が鳴り、2組のお客さんが同時に入店してきた。お客様の方に振り返り、僕には右手を上げて出迎えに行く安田さん。僕はその光景を見ながら、メニューに視線を落とし、ホールスタッフにイルポッツォ直伝のパスタを注文していた。何も知らずにいつも食べていた逸品の味が、10年という時を経て、より深みが出てきているのは気のせいではないだろう。

※この文章は過去に掲載された記事に大幅な加筆をしたものです。

鳥丸雄樹(Torimaru Yuki)
香港を拠点に活動するフリーライター。ロスの日刊サンへの寄稿を経て今に至る。自身がベースボーカルを担当したオルタナティブなハードコアバンドを引き連れて90年代は、ロンドンのコヴェントガーデンにてライブ活動を行う。現在、随筆風フェイスブックも更新しお友達も募集中。

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