特集:大埔地区を歩く 1

2017/03/29

新界をもっと身近に 第2弾
大埔地区を歩く

大埔

前々号(583号)でお届けした「特集・沙田地区をゆく」に続く「新界をもっと身近に」企画、第2弾。今回は沙田からさらに北へ、古くから人が住み新界エリアの要地として栄えてきた大埔地区を歩いてみた。

 

まずは大埔の歴史をたずねてみよう

●かつては真珠採りで活況
大埔(タイポー)区は、大埔、大埔滘、汀角、大美督、そして東は赤門海峡を隔てた西貢半島の北部までを含み、香港の18行政区分の中で面積は最も大きい。逆に人
口密度は約2,500人/㎢と、離島区、北区に続いて18区の中で3番目に低く、最も人口密度の高い觀塘区の約52,000人/㎢の20分の1にも満たない。大埔区のほとんどが山林に覆われ、人口は僅かな平地がある大埔に集中している。

このエリアの歴史は古い。約4000~5000年前の新石器時代後期の石斧など、太古から人が住み着いていた痕跡が元洲仔で見つかっている。

大埔は元々「大步」と書いた。人々は猛獣に襲われることを恐れて大股で、早足に森を抜けたということに由来する。今の香港からは想像もできないが、現に20世紀前半までは新界各地に虎が出没し、1915年には上水(ションソイ)で二人の警官が虎に襲われ命を落としている(香港最後の虎は1947年、沙田で記録されている)。

大步が中国の文献に初めて登場するのは南漢時代の963年。珍しい宝物を好んだ南漢の皇帝が3000の人を集め、大步海(現在の吐露港)で真珠の採取を行わせたという。背後に豊かな森林を控えた波静かな海は真珠貝の生育に適した環境だったのだ。それまでこの付近の住民のほとんどが漁撈に依って生活していたが、真珠の方が利益が大きいことから、多くの漁民が真珠採りに鞍替えしたという。宋代、明代にかけて大步海は広東における重要な真珠の産地となった。しかし明代以降、乱獲によって真珠は激減。真珠採りは衰退していく。

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現在の「大埔マーケット」(街市)の規模は新界随一

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2階の「熟食中心」も連日賑わう

●鄧氏が築いた「墟」で栄える
宋代に大步エリアに定住を始めた鄧氏一族が「墟(ホイ)」(市場、マーケットの意味)を開き、栄えた。現在のMTR駅名「大埔墟」の「墟」はこれに由来する。その後進出した文氏と先住の鄧氏は墟の利権などを巡って長年にわたって対立。文氏は他の氏族と連合して新たな墟を建設し、あからさまに大步墟に対抗する「大步新墟」と名付けようとした。しかし当時の役人は鄧氏 vs 文氏連合のさらなる紛争の火種になることを危惧し、その名を「太和(タイウォー)市」とした。日本人なら一瞬“ヤマト”と読んでしまいそうなこの名前には「皆さん和やかに、平和に」という願いが込められている。大步はこれら鄧氏と文氏連合の紛争や朝廷の政策による荒廃、復興を経て、19世紀終わりごろ清代に現在の「大埔」と改称される。

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MTR太和駅にほど近い 「大埔文武二帝廟」。1891年に建てられたこの廟の門には「永佑太和」の四文字が見える

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●英国の新界開発の拠点に
1898年、新界「租借」に成功した英国はすぐさま大步海に軍艦を派遣。大埔に上陸してここを新界統治と開発の拠点と定めた。当時英国によって新界に最初に建てられた理民府と大埔警察署の建物は、一級歴史建物として現在も大埔墟駅に近い小高い丘の上に往時のままに保存されている。旧埔警察署には当時の執務室や留置場も残されており無料で見学することができる。

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英国が新界統治のために建てた「北區理民府」は4月 30日まで補修工事中

1907年から工事が進められていた九廣鉄路は1910年に開通。大埔墟駅が現在のMTR大埔墟駅と太和との中間あたりに完成したのは1913年のことだ(18ページ参照)。九廣鉄路のほぼ中間地点に位置し、海に近いこの駅は物流の拠点として栄えた。野菜や魚でいっぱいの天秤を肩に担いだ住民たちがこの駅前を往来していたことだろう。

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旧大埔警察署は現在「綠匯學苑(Green Hub)」の学習施設として使われているが内部の見学もできる

戦後、香港の人口は激増し、人々の生活も変わった。1970年代から大埔の海も埋め立てられ、公共団地と工業団地に姿を変えた。かつて虎を恐れて早足だった人々の足は、通勤のためにMTRの駅へ、あるいはバスターミナルへと急ぐ「大步」となった。

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「機関車トーマス」に出てきそうな蒸気機関車は香港鉄路博物館に保存されている

 

各国のインター校が集まる教育エリア?!
香港では希有な自然との共存も魅力

All Photos by Masayuki Miyanaga

人口密度が低く、香港でも有数の自然環境に恵まれた大埔。沙田からさらにMTRで約10分のこのエリアに、あえて移り住んだという香港歴18年目の宮永昌幸さん。日本人に人気のエリアにも長年住んだことのある宮永さんに大埔の魅力について伺った。

宮永 昌幸さん

宮永 昌幸(みやなが まさゆき)さん
会計士事務所「Tri-Pros」(トライプロス)総経理。香港在住18年目。在住直後から10年以上にわたり太古に住んでいたが、息子さんの小学校進学を機に大埔に移り住む。奥様と息子さん、ヘルパーさんの4人暮らし。

大埔 大埔 大埔

●なぜ大埔に住もうと思われたのですか?
今年で6歳になる長男がおりまして、昨年8月に新設されたインターナショナルスクールに入ることが決まり、以前まで生活していた東涌(トンチョン)から引っ越してきました。子供の通学時間などを優先させた結果です。住んでから知ったのですが、このエリアはこれから新設される学校も含めると、日本人学校をはじめ、イギリスやアメリカ、ノルウェー、スペインなどのインターナショナルスクールがとても多いんです。

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古い香港の風情も色濃く 残るエリアだ

●自然が豊かなイメージの大埔ですが、実際に住まれてみてどうですか?
私もまだ生活を始めて半年と短いですが、まず第一印象は廣東語ワールドですね 笑。これまでは日本人の多い太古(タイクー)にも10年以上住んでいたり、比較的欧米人が多く、英語圏の東涌に居た関係で、流石にローカル一色だなぁ、と。休日にハイキングなどでこちらに来られる日本人は居ますが、平日はほとんど会いませんね。

ただ、家賃などの生活コストは中心部に比べて格段に安いですし、以前より遠くなった会社への通勤費を含めても総合的に生活費は安く抑えられますね。間取りも3LDK+小部屋1つといった感じで、トイレとシャワーも3つあります。広くなり、安くなりました。最寄り駅の「大埔墟」(タイポーマーケット)までは徒歩15分程と少し距離はありますが、シャトルバスもありますし、自転車があれば圏内に一田百貨(YATA)やシティスーパー(city super)もあるので、買い物にはさほど困りません。

●お気に入りのスポットやおすすめ店など、既に発見されましたか?
うちの妻がどこから聞き付けてきたか知りませんが、近所に甘栗やナッツ、豆類を販売する「皇甘栗」という店があるとのことで伺ってみたら、栗のアイスなども食べられて興味深かったですね。ちなみに英語が通じました。その近くに「鉄道博物館」などもありますし、「海浜公園」では香港では珍しい凧揚げをしている人も居ましたね。私はジョギングが趣味なので、沙田からの海沿いのジョギングコースを走ってリフレッシュしたりしています。

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甘栗専門店「皇甘栗」の栗子雪糕 (栗入りアイスクリーム)HKD25

●これからも大埔での暮らしが長くなりそうですか?
子供の学校や住環境を優先させて引っ越したので、大きくなるまでは長くなりそうですね。私ども親は通勤に時間が掛かりますが、子供は家から学校まで徒歩5分。帰りは近所の子たちの家で遊んだりすることが多く、インター校通いですが日本の学校終わりの風景を見ているようです。ただ、あんまり近すぎても生活圏が狭くなってしまうので、大きくなるにつれて移動範囲を広げてあげられるといいですね。子供が自転車に乗れるようになったら、一緒にサイクリングでもしたいです。

●色々と貴重なお話をありがとうございました。

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サイクリングロードは続く!
大圍→沙田→大埔→大美督
サイクリングロード單車路線

サイクリングロード

大圍→沙田→大埔→大美督と続くサイクリングロード。大埔は大美督までをフルコースとすれば、ちょうど真ん中くらいの位置にあたる。もちろん、大埔で自転車をレンタルしてここをスタート地点とすることもできる。大圍、沙田ではMTRの駅の近くにレンタルの店があったが、大埔ではMTR大埔墟駅から海方向へ少し離れた「大埔海浜公園」内にある。ここから汀角路で大埔工業団地を過ぎると、いかにも郊外という雰囲気で本格的サイクリングを楽しめる。アップダウンの少ないコースで天気さえ良ければ快適に大美督まで走れる。さらに“オマケ”で「船湾レゼボア」の堤防を走れば淡水貯水湖と海とを左右に見ながら、これまた爽快。大美督にはレストランが集まっており、アウトドア席での食事も気持ちいい。サイクリングのあとのビールは格別だ!

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