特集:沙田地区をゆく 1

2017/03/13

沙田

新界をもっと身近に第1弾
沙田地区をゆく

 

沙田地区って、どんなところ?

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi

●元々はここも海だった?!
沙田(サーティン)といえば「新界を代表する香港のベッドタウン」というイメージが強い。そのイメージの通り、大圍から沙田、火炭、瀝源、石門、馬料水、馬鞍山、烏渓沙などの各エリアを含む沙田区の人口は2014年の政府の統計調査によると約648,200人で、これは香港18行政区の中で最も多い数だ。このうち古くからの村の住人、「原居民」は約29,000人で、大半が新興のベッドタウン住人ということになる。

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi

沙田区は東西の山並みに挟まれるように、狭い平地に大型マンション群、公共団地、そして48の村々がその人口を支えている。その真ん中を「城門河」が流れているのだが、地図で見るとこの城門河、人口的に掘られた運河ではなかろうかと疑わしくなってしまうほど真っすぐに吐露港に繋がっている。実はこの城門河、かつては沙田の西背後の「針山」から流れ出て大圍と沙田の中間あたりで「沙田海」に注いでいたもの。そう、沙田エリアは元々吐露港から細く深く切れ込んだ、沙田海と呼ばれる水深の浅い入り江だったのだ…。

●俄に浮上した「沙田」の地名
沙田区の歴史を見てみよう。古くは馬鞍山に石器時代、青銅器時代の人の暮らしの痕跡が見られるという。明の時代には「瀝源」の地名が文献に登場し、その後16世紀には現在の大圍にこの地区最大の圍村(外敵からの防御のために壁で囲まれた集落)が記録されている。清の時代には前述の入り江、沙田海を臨む山の麓の両岸に瀝源40数個の村落があった。英国による新界租借が始まった1898年、この地を視察した英国軍が小さな村落の一つ「沙田圍」を瀝源一帯を示す地名と誤解して記録。1910年、九廣鉄道が開通し、沙田村付近にできた駅が「沙田站」と名付けられたことで、以降沙田の名が世に認知され、由緒ある瀝源の名が忘れられていくことが決定的となった。

●怒濤のような急変化
沙田海を抱いて牧歌的な田舎風景が広がっていた沙田の変貌のきっかけは1960年代初頭、当時の香港政庁の「衛星都市計画」で沙田の開発が決まったこと。1967年には「獅子山隧道(ライオンロックトンネル)」が開通し、九龍地区との交通の便は飛躍的に改善され、1973年「沙田市鎮発展計画」が正式に開始されると多くの村落の土地、英国陸軍航空隊の小規模飛行場が接収されると同時に、浅い入り江・沙田海両岸の埋め立てが急速に進められた。70年代後半からはこの埋め立地に「瀝源邨」、「禾輋邨」、「沙角邨」などの大型公共団地や、「沙田第一城(City One Shatin)」を始め「河畔花園」など高層マンション群が次々と建設され、1980年代には沙田駅を中心に大型ショッピングモール「ニュータウンプラザ(新城市広場)」、「沙田大會堂」や図書館、裁判所、公園など公共施設が整備されていく。

沙田

1982年の沙田地区(Wikipedia中文版より)

わずか20年たらずで大きく姿を変えたこの地区の中心を流れる城門河は実は川でも運河でもなく、いわば「埋め立てられた海のわずかな名残り」という方が正しいのかもしれない。70~80年代のなり振り構わぬ開発と急激な人口増加によって、城門河は魚はおろか、どんな生き物も棲まないと言われるほどに汚染されてしまったという。しかし90年代から水質は改善され、現在は「清流」とは言えないまでも魚が群れ、河畔には白鷺の姿を見るまでになった。毎年、端午節(端午の節句)にはドラゴンボートの大会が開かれるほか、カヌーやボートを楽しむ光景も見られ、散歩道、サイクリングロードなどが充実した川沿いは沙田地区に暮す人々の憩いの場となっている。

 

遠くたって苦にならない
海と山と広い空がある暮らしを楽しむ

ー吐露港に臨む「烏渓沙」の住み心地ー

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi 坂口さん宅からの眺望

沙田、馬鞍山地区では最も北に位置し、MTR馬鞍山線の終点駅でもある烏渓沙(ウーカイサー)に家族で住んで今年で10年目という坂口香織さん。烏渓沙のベテランとも言うべき坂口さんに、その「住み心地」と魅力について伺った。

坂口香織

坂口香織(さかぐちかおり)さん
香港大学日本語教師(非常勤)。香港在住16年半、烏渓沙在住歴は9年半になる。アメリカ人の夫、一人娘との三人暮らしだったが、昨夏娘さんがニューヨークの大学に進学したため現在は夫婦二人で烏渓沙に暮らす。

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi 烏渓沙から吐露港を隔てて大埔方面を望む

●香港在住の日本人にとってもあまり耳馴染みのない「烏渓沙」ですが、なぜここに?
香港に来た当初、夫(アメリカ人)の勤務先が馬鞍山のセカンダリー・スクールでしたので、8年間ほど馬鞍山に住んでいました。夫の勤務先はその後荃湾(チュンワン)に変わりましたが、娘の通学や不動産価格を考えて、烏渓沙のアパートを購入しました。来港時に2歳だった娘は、馬鞍山の幼稚園からESFのShaTin Junior School、ShaTin Collegeへと進み、卒業。現在はニューヨークの大学で学んでいます。昨夏、彼女が香港を出たのを機にアパートを売却し、夫婦二人で烏渓沙の賃貸に暮らしています。二人の勤務先に近い場所に引っ越すつもりだったのですが、新界を出ると家賃が格段に高くなってしまうこと、住み慣れた街やエリアに愛着があることなどを考え併せて、やはり烏渓沙に残ることに決めたんです。

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi 烏渓沙村(手前)と馬鞍山の町

●坂口さんにとって愛着のある「烏渓沙」を紹介してください。
烏渓沙はMTR馬鞍山線の終点で、目の前の海(Tolo Harbor)と背後の山に囲まれ景色の美しい“イナカ”です(笑)。居住用には高層アパートもありますが、低層アパートや村屋も多く、景観は香港島や九龍の中心エリアとはかなり違いますね。この辺りでも大規模な宅地開発が進んでいますが、沙田や馬鞍山中心部と比べてもまだ人が少なく、のどかな雰囲気です。人口密度が低く、個人のスペースが大きいこと、生活のペースがのんびりしている所がとても気に入っています。

休日には烏渓沙の浜から吐露港を眺めつつ、馬鞍山公園を経て城門河沿いに続くコースを、よくジョギングしたりサイクリングしたりしています。時には沙田や、大埔まで足を延ばすこともあるんですよ。ハイキングでは烏渓沙を起点に西貢や獅子山方面まで行くこともありますし、その他にも烏渓沙の白石ではゴルフの打ちっぱなしやバーベキューができたり、渡頭村では気軽にボートをレンタルできたりと、そろってアウトドア活動好きな私たち夫婦にとっては最高の場所かもしれませんね(笑)。

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Photo by Kaori Sakaguchi 馬鞍山海浜長廊

●空が広くて気持ちのいい自然環境ですが、ちょっと遠い?
そうですね、良い事づくめのようですが、不便な点があるとしたら交通、香港中心部へのアクセス面でしょうか。香港島の西環にある香港大学に通勤する私にとっては確かに時間がかかり「便利」とは言えませんが、MTR烏渓沙駅は始発ですので馬鞍山線は座って行けますし、香港大学もMTRの駅ができたことで、さして苦には感じていません。

買い物等の面でも、以前は日本やアメリカの食材を買いに沙田あたりまで出かけていましたが、数年前に自宅近くに「Market Place」ができたので、その必要もほぼなくなりましたね。

また、烏渓沙駅に直結している「迎海(Double Cove)」にはスタバ、759阿信屋、薬局、コンビニのほかに、レストランも続々と開店してさらに便利になりました。中でも内装がおしゃれな「屋子cafe」という店ではちょっとした和食が食べられ、座敷席もあって、子ども連れの若い家族に人気のようです。この他、レストランなどは香港中心部ほどのバラエティーはありませんが、週末に夫婦で食事する程度のことなら問題ありませんよ。

沙田

Photo by Kaori Sakaguchi

●これからも烏渓沙にお住まいになられますか?
はい、そのつもりです。香港中心地から少し離れてはいますが、離れているからこその海と緑に囲まれた、香港では得難い環境に満足しています。今後も夫と二人、烏渓沙の暮らしを楽しんでいくつもりです。

--IMG_1792

●ありがとうございました。

 

さらに延びる、 さらに繋がるMTR路線

鉄道

金山(ゴールデンヒル)-筆架山(ベーコンヒル)-獅子山(ライオンロック)-慈雲山(テンプルヒル)と連なる山塊によって九龍地区と隔てられた沙田地区へのアクセスは、かつては1911年に開通した「九廣鉄路(KCR)」と、「九龍水塘(Kowloon Reservoir)」の傍を抜ける「大埔公路」の他に主要なものがなかった。

九龍(当時は尖沙咀に駅があった)と広州を直接結ぶ重要な鉄道だった九廣鉄路は1983年に電化され、新界地区のベッドタウン開発によって九龍、香港中心街へ向かう「通勤電車」としての色合いを濃くしてゆく。2004年、大圍から分岐して北の烏渓沙へと延びる「KCR 馬鞍山線」が開通。それまでバス路線に頼っていた、城門河の東側と北側に広がる住宅地の交通の便は大きく改善された。

2007年12月に「香港鐵路有限公司(MTR)」との合併により、沙田地区のKCR両線は「MTR東鉄線」と「MTR馬鞍山線」とに改称された。さらに現在、大圍から九龍東側を経て香港島中心部までを結ぶ「沙中線」(大圍~顯徑~鑽石山~啓徳~土瓜湾~何文田~紅磡~會展~金鐘)が2021年の開業(紅磡までは2019年)を目指して工事が進められている。

 

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