特集:Go East!!香港島を東へ! 1

2016/11/22

香港島

Go East!!香港島を東へ

「香港島」と聞いて、あなたはどのエリアを思い浮かべるだろうか?セントラルの蘭桂坊? SOHO?それとも湾仔か、コーズウェイベイ?はたまた、西のはずれで近頃注目のケネディタウン?太古の日系スーパーには馴染みがあるけれど、「そこから先へは行ったことがない」という人も多い。ふと考えてみると、確かに香港島東部のことをあまり知らない自分に気づく。今回は、何か楽しい「発見」を探しに香港島を東へ向かった。

太古Taikoo

造船そして製糖と一大企業の成長と共に作られた「実は」な歴史をもつ街

太古 太古 太古

日々の生活のなかで、自分の住んでいる街の歴史についてどれくらい意識したことがあるだろうか。どの街にも長い短いに関わらず必ず歴史がある。しかも、その歴史が現状から全く想像できないようなものであることも珍しくない。香港島の中心街、中環(セントラル)からMTRで東へ10数分、2つの日系スーパーがあり、日本人学校へのアクセスも便利ということで、以前から日本人にも人気のある街 太古(タイクー)も、そんなエリアの一つ。このエリアの象徴とも言える「太古城」はその昔、なんと造船所だった!香港で知らない人はいない、英系大手財閥スワイヤーグループ(太古集団)が1902年に着工し、1907年に完成。当時香港最大の造船所として、一時は5,000人以上の労働者が働いていたという。その後、同造船所を埋め立て、1977年に建てられた「翠湖台」から一番新しい「海天花園」まで、約10年をかけて建設された68棟にも及ぶマンション群と、ショッピングモールの「太古城中心店(Cityplaza)」、そしてその隣にある4つ星ホテルの「東隅(EAST)」からなる現在の太古城の姿となっていく。

太古

さて、鰂魚涌(クォーリーベイ)から東へ英皇道(キングスロード)の緩い坂を登って行くと、「はてな?」と思わずにいられない、あることに気づ
く。トラムが走るメインストリートのはずのキングスロードがAEONの手前で左へ逸れ、いきなり「脇道」になってしまうのだ。ここからAEONの前を通って西湾河方面へと抜けて行くトラムロードの名は康山道(コーンヒルロード)。名前の“格”からしても英国キングの名を冠した英皇道の方が上のはずなのだが…。

太古

実は80年代前半まで、太古城の南側にはそそりたつような傾斜の小山がコブのようにあり、英皇道はトラムの軌道とともにこの山の縁をぐるりと迂回していたのだ。これを切り崩し、そこに康怡花園(コーンヒル)や康山花園(コーンヒルガーデン)といったマンションが次々と建てられ、康怡廣場(コーンンヒルプラザ)や、現在はAEONが営業している商業施設などがつくられた。道路は切り通しとなり、トラムもこちら側に付け替えられたが、英皇道の名前はそのまま残され、康山道にメインストリートの座を譲る形となったのだ。

もう一度太古城の西に戻ろう。英皇道沿いに建つ「太古坊」付近は、同じくスワイヤーグループの砂糖工場があった場所だ。1881年から約90年にわたりこの地で操業を続けた同工場は当時、スエズ運河以東において最大規模の砂糖製造工場。現在は、生産拠点を全て中国本土に移動してしまっているが、今も「太古」ブランドの砂糖は香港人に愛されており、スーパーマーケットなどでもお馴染みだ。

太古

いずれも今となっては、MTR太古駅と鰂魚涌駅のちょうど中間あたりにある、英皇道から海に向かって伸びる「糖廠(砂糖工場)街」という通りの名前と、Cityplazaの駐車場入り口脇にある造船所の記念碑。そして、当時、造船所の労働者の子供のために設立された小学校であった現在の太古小學(Taikoo Primary School)の校章に、スワイヤーグループの社章デザインが使用されているということぐらいでしかその歴史を知ることはできない。この街はそんな「知る人ぞ知る」のユニークな歴史を持つ街なのだ。

太古 太古 太古

香港島東區

香港島東区は香港島北岸の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の東側から北角(ノースポイント)、鰂魚涌(クォーリーベイ)、小西湾(シュウサイワン)、筲箕湾(シャウケイワン)、杏花邨(ヒョンファーチュン)、柴湾(チャイワン)の各エリアを指す。古くから筲箕湾や柴湾などの入り江を中心に小規模な漁村が存在したが、19世紀に入って英国植民地となってからは、埋め立てとともに開発が進み、採石場、造船ドック、工業地区として栄えた。また、九龍半島との間で最も狭い水道の鯉魚門海峡は、航空機が出現まで、香港防衛における最大の軍事的拠点であり、英国によってここに要塞が築かれている。

1970~80年代以降、香港島東区の様相は大きく転換する。太古の製糖工場は中国本土にその生産拠点を移し、多くの労働者を擁したドックは大規模マンション群へと再開発されていった。同時にMTR港島線、フリーウェイの「東區走廊」が柴湾まで開通し、それまでトラムとバスだけだった公共の交通の便は飛躍的に改善された。これにより現在では公共団地や大型マンションなどが林立し、香港でも有数の人口集中エリアとなっている。

 

数々の海上火災現場で活躍したヴィクトリア港の英雄
「アレキサンダー・グランサム号」

消防艇

ジョギングをする人、散歩を楽しむ人が行き交う海沿いのプロムナード、鰂魚涌公園(クォーリーベイパーク)に、赤く塗られた一隻の「船」が展示されているのをご存知だろうか。それほど大きくはないと言うものの、吃水の下から間近で見上げる歴戦の船体には、本物ならではの迫力が漂う。

あえて「歴戦」と書いたが、この船は1953年の就役以来、実際に幾多の海上火災と“闘う”など、このヴィクトリア港で活躍していた消防艇「アレキサンダー・グランサム号」。消防艇とは、水上や沿岸において発生した火災の消火を行う船舶のことだ。全長38.9m、幅8.8m、高さ15m。それまでの消防艇が小型のものばかりだった時代、当時の最新設備を搭載した同艇は、消火効率を大きく向上させ、ヴィクトリア港の安全を守るエースとしての役割を担った。1972年にヴィクリア港で起こった、改装中の大型客船シーワイズ・ユニバーシティ号(元・クイーン・エリザベス)の火災現場で消火にあたるなど、数々の火災現場に出動し、目覚ましい功績を挙げている。

消防艇

約50年にわたる活躍ののち、2002年に現役を引退。一回り大型の新鋭消防艇「エリート号」に任務を委ねた現在は、鰂魚涌公園の海に面したこの場所に陸揚げされ展示されている。

備品などを除いた、往時のままのアレキサンダー号には実際に艇内に入って見学できる。板張りの上部デッキに上がれば、簡素で機能的なブリッジを間近で見る事ができ、装備された消火砲に触れることもできる。鉄と木でできたアレキサンダー号の船体は力強さと同時に、どこかブリキの玩具を思わせる懐かしさと可愛らしさをも感じさせてくれる。そんな上甲板から潮風に吹かれながら眺めるヴィクトリア港の景色は、普段と違った高揚感を含んで眩しい。

船の下には2007年にオープンした展示スペースがあり、海上消防隊の歴史や海上消火活動の発展について知ることができる。入場は無料。ぜひ家族で気軽に立ち寄ってみては。

消防艇 消防艇

消防艇アレキサンダー・グランサム展示館
(葛量洪號滅火輪展覽館)
場所:香港鰂魚涌公園(MTR太古駅から徒歩10分)
電話:(852)2367-7821
時間:10:00~18:00(火曜休館)
料金:無料
ウェブ:www.lcsd.gov.hk/ce/Museum/History/zh_TW/web/mh/about-us/fireboat-alexander-grantham-exhibition-gallery.html

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