九龍城特集2・かつての住人にインタビュー

2015/10/19

INTERVIEW

かつての住人に訊く

九龍寨城での暮らしはいったいどんな感じだったのだろうか。
そこで、1975年から1992年まで、17年間九龍寨城で住んでいた遊さんにお話を伺った。

生命、衛生、財産、安全を守る保証は何もない。
でも、やる気があればどんな仕事でもできる、エネルギッシュな場所でもありましたね。

どういうきっかけで九龍寨城に住むことになったのですか。

九龍寨城の魅力は、家賃の安さ、そして、他のところと違って、無法地帯なので、無資格でもどんな仕事もできることでした。例えば、歯医者、製麺業、金属加工業など、これらの仕事をするには資格や証明書が必要で、毎年証明書の更新のための費用もかかります。でも九龍寨城では、これらを持たずに仕事をして、お金をがんがん稼いでいる人たちがたくさんいました。私もそんな九龍寨城で仕事を始め、ここで一人暮らしを始めました。結婚後はすぐに引越しましたが、職場は変わらず九龍寨城にありました。

どんな仕事をされていたのですか。

シェフといえばいいでしょうか。実際にやっていたのは、新莆崗の工場労働者たちの昼飯を作って、現場に届ける仕事でした。労働者の数が多かったので、膨大な数の昼飯を準備していました。毎朝目が回る忙しさで、仕事が永遠に終わらないかと思うくらいでしたね。

マンションが密集して建てられていた

住んでいたのは、どんな部屋でしたか。

マンションの一室で、窓が少ない狭い部屋です。窓はあるけれど開けられない、まったく無意味な窓―。なぜなら開けても他のマンションの壁にぶつかるか、汚い空気が入ってきてしまうからです。窓を開けられないから、住んでいる人は換気扇をつけて部屋の悪い空気を外に出す、そのため、窓の外には悪い空気が充満し窓が開けられなくなる。悪循環ですよね。

九龍寨城にはマンションが密集して建てられていたので、マンション内と部屋だけでなく、マンションとマンションの間と道路も狭かったんですよ。道路は二人の人がすれ違うだけの幅しかなく、裏路地といったほうがぴったり。マンションとマンションの間は大体腕一本の幅ぐらいでした。

周りにはどんな人が住んでいましたか。

アルバイトの人や店を経営する人など、みんな、どこにでもいる普通の人たちです。幸い私の住んでいた周りには犯罪者はいませんでした。そのおかげで住んでいるときもそれほど危ない思いをせずにすみました。「悪の巣窟」などの異名の持つ九龍寨城ですが、中はどんな感じでしたか。
そんなに物騒なところだとは思いませんでした。確かに麻薬密売や犬肉販売など、違法なことをやっている人も少なくありませんでした。でもここで生活するコツは、自分に害が及ばないなら、基本的に見て見ないふりをすること。そうすれば、治安がいいとまでは言いませんが、それほど危険ではありませんでした。
九龍寨城で一番印象に残っているのは「汚い!」ということ。狭い場所が多いので、掃除が行届かないところが多くありました。政府の「食物環境衛生署」がゴミ収集の手配をしていなかったので、街のゴミがどんどん増えていきました。私は、長く住むうちに慣れてしまいましたが、今考えてみれば、ものすごく汚い場所だったと感じます。

治安が悪かったのは、もう少し前のことなのでしょうか。

はい、1930年~50年代までは、治安が一番悪かったと聞きました。警官もいないし、法律の力も及ばない―。あのときの九龍寨城こそ魔窟と言うべきでしょう。60年代に英政府が統治力を向上させ、警官を九龍寨城に駐屯させるように命じました。駐屯する警官が殺人や盗難、放火などの重大事件を処理し、犯人を逮捕したおかげで、治安が少しずつ改善。70年代以降は、犬肉の販売や不正の取引など違法な仕事をする人も減っていったようです。

密集する九龍寨城九龍寨城での生活はいかがでしたか。

特に不便を感じたことはありません。新鮮な食材は売っていないけれど、飯店、洋服屋、士多(雑貨・日用品を扱うスーパーのような店)など、必要な店がちゃんと揃っていました。私が暮らしていた頃は、電気も使えました。
50年代前は電気のない場所でしたが、電気を使いたいと考えた住民たちが外から九龍寨城まで電気ケーブルを敷いたそうです。長い電気ケーブルは危険なので、60年代に、電力会社の「中華電力」が九龍寨城の中に、ケーブルを中継するためのボックスを増設してくれました。
水道は九龍寨城内に敷設されていないので、街に設置されている公共水道の蛇口以外の水源はほとんどありませんでした。そんな貴重な公共水源を、当たり前のように、ならず者たちが占拠。きれいな水を使用したいときは、彼らにお金を払わなければなりませんでした。なので、ほとんどの住民は「科学井」と言う細い井戸から汲み上げる汚い水を使っていましたね。郵便はあまり利用されていませんでしたが、一応マンション最下層の鉄扉に、住人の郵便箱が
付いていました。

今当時を振り返って、どう思いますか。

今振り返ってみると、当時の生活はずいぶん厳しいものだったと思います。今と違って、生命、衛生、財産、安全を守る保証は何もありませんでした。現在の人は誰でも当時の生活を厳しいと感じるでしょう、でも今の生活も決して楽ではありません。九龍寨城での仕事の多様性は今より遥かにありました。やる気があるならどんな仕事でもやることができました。そういう意味では、エネルギッシュな場所でしたね。

游爵華さん

游爵華さん(61歳)
Yau Cheuk Wah
現在は荃湾在住。妻との間に娘一人、息子一人。
今は娘達がそれぞれの家庭を持ち、8年前から一人暮らし。
九龍城での仕事を辞めた後、自身で食品関係の問屋を創業。
その仕事も2年前に引退し、悠々自適な生活を楽しんでいる。

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