香港、広東のアテンド特集8・広州・文化編

2015/04/22

【アテンド広州・文化編】

~古き良き街の姿を感じてこその広州だ~
老広州通が紹介する“広州の歩き方”

広州は、命・心の一部ですね。離れたら私の全てが崩れちゃいます(笑)。

広州歴約20年の伊東かつみさん

広州歴約20年の伊東かつみさん。広州市のシンボルとも言える珠江を「パリのセーヌ川よりも美しい」と言い切るほどに広州を愛している女性だ。広州文化の中心とも言える湾区に住み、今も残る古きよき街並みの一部が存在することに日々喜びを感じているという彼女は、日本人を相手に広東語を教え、広東オペラを演ずるほどの広州通。そんな伊東さんに“広州の歩き方”を聞いてみた。

■まず、広州人の気質について教えてください。
一言でいうと「農耕民族」ですよね。メンツではなく実をとるというか、貧乏で小さな家にいても食べ物を大事にしたりして“生活の豊かさ”を大事にしていますよ。臨機応変で「身の丈で勝負しよう!」という気持ちが強いです。だから文化や生活が理にかなっています。

■具体的には、どんなことが挙げられますか?
例えば、SARSが流行した時でも広州人は落ち着いていました。パニックになるのではなく、日々の生活の中で培ってきた食事や漢方をキチンと理解した上で冷静な判断をしていました。元々、人にしても文化にしても度量が大きいということもあると思います。外国からの文化を受け入れてうまく融合してきた歴史もあります。それを中央からの指示でやるのではなく、広州人自らがミックスして創りあげてきたんですからね。

■なるほど。そんな広州の歴史・文化が丸ごと詰まった場所が伊東さんもお住まいの荔湾区というわけですね。
そうですね。西関(今の荔湾区)を歩けば必ず“本物の広州”を感じることができると思います。天河区や珠江新城などは今となっては近代的なビル群があり賑やかですが、古き善き街の姿を感じてこその広州だと私は思いますので、初めて広州に来たという人にも、長く住んでいるという方にも是非、荔湾区を歩いてもらいたいですね。

“元横浜市民の広州市民”というほどの伊東さんと実際に「老広州」といわれる西関を歩く!

西関建築の玄関西関建築の玄関

 

 

 

 

 

 

 

 

【西関建築の玄関】

左右対称のデザインを施した観音開きの扉の奥が、横格子の引き戸になっているのは、防犯と風通しを良くするためで、この地方の高温多湿な気候に適した建築構造になっている

まずは、広州地下鉄1号線「長寿路駅」のD2出口から西に伸びる「宝源路」。この通りでは、「西関大屋」と呼ばれる嶺南地方(広東省、広西省一帯)の特色を持つ住宅が数多く見られる。「古老大屋」との俗称もあり、清の末期に広州の名門や貿易で財を成した豪商が西関で建てたため、西関大屋と名付けられた。建築スタイルは清代の後期、同治、光緒年間(1862~1908)のもので、19世紀の中後期と20世紀の20年代で最も繁栄していた。

騎楼と呼ばれるアーケード

「龍津西路」を南に進んでいくと通りはいつの間にか「恩寧路」に変わる。この辺りから銅食器を扱うお店が現れる

 

「宝源路」を西に歩くと「龍津西路」にぶつかる。ここでは騎楼と呼ばれるアーケードのある建築物が多く見られる。こうすることで二階の住宅スペースやベランダを広く使うことができて玄関先の雨樋としても機能する。狭い住環境での広東人の“暮らしの工夫”が垣間見える。路地裏に入ると静かな住宅街が建ち並び、表通りの賑やかさとは一変してゆったりとした時間が流れる。「日本の都会にもこういったゆったりとした通りがありました。ここに来ると懐かしさを感じます。」と伊東さん。

 

 

路地裏に入ると静かな住宅街     どこか懐かしさを感じる

書画、広州オペラも長い歴史をもっており、嶺南画という文化は西関からはじまった。故に「芸術の故郷」と言われている。

【八和会館】

「八和会館」(旧称“瓊花会館”)とは、広東省佛山で広東オペラ従事者によって創設された広東オペラ同業者組合のことであり、彼らが暮らした施設の名前でもある。“八和”とは、“八方和同”つまり八方から集まって団結する―役柄の異なる者がここに来てそれぞれのお堂で暮らすことを連想させる。1889年、有志の芸人たちによって黄沙に土地が購入され、1,000人居住可能な8つのお堂からなる建物が建てられた。戦後復興のさなか、華僑の寄付によって恩寧路に現在の会館が建てられた。組合自体は、広州オペラの発展と共に分会が世界18の国や地域にまで広がっており、広東の八和会館は海外の広東オペラ界の中で“母会”つまり総本山とされている。

【広東オペラ】

広東オペラ

“大戲”とか“広東大戲”とも呼ばれる広東オペラ(劇)は、広東の地方劇のことだ。北京の京劇とならんで中国を代表する漢民族古典芸能の一つで、戯曲と呼ばれるジャンルになる。京劇との大きな違いは広東語(粵語)で演じられること。広東人だけでなく、雲南と広西、香港およびマカオにも広まり、海外の華人の間でも人気を博した。中国で最も早く世界に進出した演劇だといわれている。広東オペラの成り立ちについては様々な説があり定かではないのだが、文献によれば、明代嘉慶から万歴年間まで佛山や広州で瓊花会館(現在の八和会館)のような団体があったことがわかっている。地元の文化に育まれた広東オペラは他の地域の戯曲と異なる独特のものとなり、軽快で流暢、斬新で変化に富むといった特徴を持つ。

Pocket
LINEで送る