香港競馬特集1・香港競馬の歴史

2015/02/24

英国植民地時代から市民の身近に根づく香港の競馬は、単なるギャンブルにとどまらないエンターテイメントだ。
せっかく香港に居るなら一度は体験してみたい香港競馬。
歴史から日本競馬との関わり、初体験レポートまで、様々な角度からその溢れる魅力と楽しみ方を総力特集。
これを読めば、きっとあなたも競馬場へ行ってみたくなるはず!

香港で一番人気のスポーツ、競馬

香港で一番人気のスポーツ「競馬」賭け事を楽しみながら街の発展にも貢献

約170年という長い歴史を持つ香港の競馬。
どのように成長、発展してきたのか?
まずはその歴史を紐解き、香港社会との関わりを見てみよう。

香港の競馬

イギリス人がポニーで競馬をスタート

香港に競馬をもらしたのはイギリス人だった。イギリスの植民地となった3年後の1845年に、ポニーによる競馬が行われたと伝えられている。20世紀以前の競走馬の多くはモンゴル産ポニーで、列車で中国から運ばれてきた。

1846年にハッピーバレー(跑馬地)に競馬場を開設。他に適地がなく、「黃泥涌谷」と呼ばれていた沼地を埋め立てて競馬場を作った。当時の写真をみると、競馬場は整地して楕円形のコースを設けただけ。山々に囲まれており、のどかな雰囲気が漂う。その年の12月、同競馬場で初めてのレースが開催された。コース近くに竹や茅などを用いたシンプルなスタンド(観客席)が建てられた。当初のレースは1年に1度、旧正月だけの開催だったという。

競馬の普及とともに、違法に賭け事をする人が増えたため、1884年に香港競馬を統轄・管理する機関「香港ジョッキークラブ(HKJC)」が設立された。HKJCはメンバー制を導入したが、中国人はメンバーになることができなかった。馬主やメンバーは、イギリス人や外国籍の官僚や外資系商社に務める人たちだった。中国人がメンバーになることが認められたのは、約40年後の1926年のことである。

1918年2月、レースが行われていたハッピーバレー競馬場で火災が発生。竹製のスタンドが焼けて、500人以上の観客が亡くなる惨事となった。その後、スタンドは、1931年に3階建ての常設スタンドへ、1957年に7階建てビルへとリニューアルされている。

沙田競馬場

世界でもトップ規模の沙田競馬場を開設

1940年代前半の日本占領時代、治安が維持されていることをアピールするために競馬の開催は続けられた。レースは週末に10レース程度、通年で開催した。イギリスの統治時代より安く楽しめるようになり、庶民の娯楽として広がっていった。戦後、競馬は一時中断されるが、1947年にイギリスによって再開され、再びHKJCが統括するようになる。1971年にプロ騎手の立場を保障するライセンス制度を導入。夜間照明を設置し、初めてのナイター競馬が開催されたのは1973年のことだった。1974年に、ノミ行為を防ぐために場外馬券発売所を設置して、場外馬券の発売を始めた。

近代的な競馬場を作るために、沙田海を埋め立てる大掛かりな工事が行われ、1978年、新界沙田区に世界でもトップレベルの規模となる沙田競馬場が完成した。同競馬場は競技場全体で約10万人収容可能で、1988年には香港競馬で初となる国際レース「香港招待カップ」が開催された。

沙田競馬場の開設に伴い、ハッピーバレー競馬場の近くにあった廐舎も沙田へ移された。それまではレースの前後などに人に引かれ、一般道を通って廐舎と競技場を行き来する競走馬の姿も見られた。

1997年に香港が中国に返還された後も「一国二制度」のもと競馬の開催は認められている。

競馬で負けても「香港に貢献!」と胸を張ろう

香港ジョッキークラブ(HKJC)は非営利団体として、競馬やマークシックスなどの収益を、学校や病院の建設、奨学金へ寄付をする慈善事業に注力してきた。その歴史は1世紀以上にもなり、香港の発展の礎にもなっている。2013、2014年にHKJCが行った寄付は、HKD3.6億にも達し、168ものプロジェクトを支えてきた。また、2013、2014年にHKJCが支払った税金は約HKD20億にもなり、香港の低税率の維持にもつながっている。

現在、香港競馬の開催は原則として水曜日と週末で、ハッピーバレー競馬場では、主に水曜日のナイター開催が行われている。競馬が開催されていない日、競技場は公園として市民に解放されており、ジョギングやサッカーなどスポーツに興じる人々の姿などが見られる。

 

続きアイコン

Pocket
LINEで送る