香港仔(アバディーン)特集2・元漁民にインタビュー

2014/10/27

生まれたときから海と一緒水上で暮らした生活を元漁民にインタビュー

漁民町として知られ、かつて水上生活者が多く暮らしていたアバディーン(香港仔)。今でもその名残は残っている。漁船の上で暮らしている人、働いている人がたくさんおり、湾内をめぐるサンパンが何艘も行き交っている。そんな風景に惹かれて訪れる観光客も多い。

だが、近代化に伴い、水上で生活する人々は姿を消しつつあり、漁業をやめる人も増えている。そこで、元漁民の姜さんに、水上で暮らした日々や、気になる香港の漁民を取り巻く事情について伺った。

姜(ゴン)さん

姜(ゴン)さん50代

危険な海と20年以上闘っていた漁師ベテランだった。漁業から身を退いた後、香港&九龍フェリーに就職。家族への思いも深い。温厚なイメージの彼はキリスト系宗教の信仰者だそう。

水上生活者はいつも海の上で暮らしていたのですか。
はい、暮らしていました(笑)。我々漁民は、昔よく「蜑家人(ダンカーヤン)」「蛋民(ダンマン)」(=船上人)と呼ばれていました。みんなは岸辺に簡単な屋敷を築いたり、船の上で暮らしたりしていました。私の家はひいじいさんの代から漁民でした。おじいさんと親父も漁民でしたので、私は10歳までずっと水上で暮らしていました。10歳になってから、初めて陸に上って学校に通うようになりました。

海の上の生活はどんな感じでしたか?
実際経験してない人は想像できないでしょうけれど、陸上での生活とほとんど変わらないですよ。寝起きももちろん船でしますし、買い物や食事にも困ることはありませんでした。麺屋さんや茶餐庁(香港式カフェのこと)も船に乗って商売していました。昔と同様、船で営業する麺屋もありますので、チャーシュー麺を買って岸辺で食べると、当時の雰囲気を少し感じることができるでしょう。

おもしろそうですが、本当に何でも水上でできたのですか?
本当ですよ。私と妻も海上で出会って、デートしていましたよ(笑)。結婚式も葬式も水上で行いました。たとえば結婚式でしたら、何艘もの船を集めて大型な宴会会場をつくります。そこで、普通の結婚式とほとんど変わりなく、みんなで儀式を行ったり食事をしたりします。

また、病気になったときや出産のときもお医者さんと助産師さんを船まで呼んで来ました。でも、60、70年代に入ると、水上生活者も陸上生活を送るようになり、陸上の病院へ行くようになりました。

元漁民の姜(ゴン)さん

漁民としての生活はどうでしたか?
海へ漁に出る2週前から準備を始めます。まずは、季節によってどんな魚がどこで獲れるのかを考え、一番魚が獲れそうな海域を選定します。そして船の点検、船員の仕事分配、燃料と食料の購入などを済ませます。海にいるときは、毎日24時間が仕事です(笑)。船員の監督もしなければなりません。

そのかわり休漁シーズンは、結構ダラダラしてたっぷり休みます(笑)。仲間を集めて一緒に旅行へも行きました。

自分の船で旅行したのですか?
それでは休めないでしょう(笑)。旅行代理店にお世話になりました。

獲った魚はどうしたのですか?
まずは一番いいものを選び出して、「海鮮庁(海鮮販売センター)」に売ります。1つランクが下がるものなら、街市で一般人に売ります。大体は朝4時~7時です。もしアバディーンで新鮮な魚を買いたいなら、この時間帯に来てみてください。

70年代から漁民の数は減少したそうですね。姜さんが漁業に携わっていたのはいつまでですか。
私自身は、1985年に初めて自分の船を持ちました。その前は親父の手伝いとして海の仕事もしていました。台湾、ベトナム、海南島にも渡っていました。正式に漁業を諦めたのは、2006年です。友達の中にはまだ漁業を生業にしている人はいますが、私の息子はもう船での仕事はしていません。

船上での生活

なぜ漁民の仕事をやめる人が増えたのですか?
私の場合は、まずは健康面の問題からでした。職業病と言ってもいいかな。漁民たちは高血圧、関節炎などの疾患を抱える人が多いです。それは、不健康な食生活に原因があると思います。みんな漁に出るときは、ちゃんとした食事が摂れませんから。そして、岸に帰ると漁が終わった安堵感から暴飲暴食。そのため、老後になると様々な病気を発症します。

あとは、漁業を取り巻く状況が厳しくなってきたことも、引き金となっています。ガソリンの価格が上がり、漁業にかかるコストも高くなっています。2009年から政府が燃料補助政策を始めましたが、それ以前に漁業をやめた人も多くいました。そして、80年代は大陸から船員を雇っていましたが、近年は人材の確保が難しくなって労働力不足が深刻化しています。

漁業が危険な仕事であることも否定できません。天候にも左右されますし、海賊に遭う可能性も高いです。最悪の場合は、機材、お金とガソリン、全てのものが奪われます。一番印象深い体験は、1986年に台風に遭い、船を失ったことでした。

漁民をやめた後は、どんな仕事に転職したのですか?
現在はフェリー会社に勤めていて、妻は街市で魚屋を経営しています。他の人は水夫や、機器修理や建築関係などの仕事に就いています。やはりみんな、海に慣れていて、機器の操作に詳しいからだと思います。

この数十年の変化をどんな風に感じていらっしゃいますか。
とても目覚しいものでした。30年前、香港仔中心や香港仔海浜公園もまだなくて、この一帯は全部海でした。生活していた船は、木製の梯子で石屋や木屋しかない街道と繋がっていました。70年代から埋立がどんどん進み、それ以降急速に変わっていきました。

昔アバディーンからアプレイチャウ(鴨脷洲)に行くときは船のほかに方法がありませんでしたが、80年代に鴨脷洲大橋が完成してからは我々住民たちも便利になりました。もうすぐ地下鉄も開通しますから、もっと便利に、もっと賑わうようになるでしょう。

それから、昔は治安がよくなかったんですよ。九龍城砦に近い雰囲気があり、売春、アヘン、博打などの裏産業が盛んでした。今は平和な街に変わり、嬉しく思います。

漁民の生活

 

 

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