今こそ魅力を再確認!MADE IN HONG KONG特集

2022/10/19

スクリーンショット (2048)高いビルが林立し、多くの海外ブランドが進出する香港でも、街角の小さな工場では職人たちの手によって、今日も香港製造のものが作られている。
そこには作り手・買い手の日々の営みがあり、息づかいがあり、歴史があり、それぞれのストーリーがある。
その道何十年という経験や知識からでしか生み出せない香港ならではのものづくり現場の一部を、今回のPPW総力特集内で紐解いていこう。
香港人が今まで培ってきた文化や歴史の目撃者になっていただきたい。


職人技を後世に伝えることが使命
香港ものづくりのプラットフォームに

図1「Elderly(年長者)」と「Digital Age(デジタル世代)」を結び付けた社名「Eldage」。中国語では「年長者や経験者(耆)の知恵や技術を後継(傅)していく」という意味が込められている。同社は香港でも指折りのシェアを誇るデジタルマーケティングカンパニー「Fimmick」を親会社に持ち、2016年に設立された。
この2~3年はコロナ禍もあり、一般公開はされておらず、企業や学校などの団体利用のみとなっているが、ミニバスサインや中国切り絵をはじめとする、香港で活躍する40名以上の職人と提携し、今までに400以上のワークショップを開催、8,000名以上の人が参加してきた実績がある。スクリーンショット (2122)スクリーンショット (2121)

次世代へ伝統技術の継承を
今回弊紙では、同社で設立以降、この文化事業をリードしてきたビジネスマネジャーのAlさんにお話を伺った。彼女は同事業について次のように語る。「社交距離措置の規制があり、いくつものワークショップを開催できないこともしばしば。しかし、状況は少しづつ緩和されてきており、今年の7月には30ものワークショップを主催することができました。利用団体は小中高の学校が多く、子どもたちが真剣な眼差しで職人の先生の話を聞いている様子を見ると、とても胸打たれました」。
また、同事業の難しさでもあり、やりがいでもある点について次のように教えてくれた。「職人の方は、地道に作品や商品づくりに専念してきた方が多く、別の言い方をすれば、対外的にPRをすることに慣れていない方がほとんどでした。まずは職人の先生に、当方の想いと熱意を伝えるところからが物語の始まりです」。Alさんはこんな具体例を挙げてくれた。

ビジネスマネジャー Al Fong(方 綽瑤)さん

ビジネスマネジャー
Al Fong(方 綽瑤)さん

多くの人に受け入れられることで匠の自信にも
オールドな香港の街並みと言えばネオンライトが有名だ。80~90年代の香港では、ネオンの看板はより大きく、より豪華なものがよしとされてきた。法律の改正やLEDの台頭など時代の変遷とともに、ネオン業界では一人、また一人とその職人を失っていった。そのような中、30年以上に渡り、香港で数少ない昔ながらのネオンライトを作り続ける胡智楷さんにEldageは何度も対話を続けたという。「胡さんにワークショップを開催することを打診しましたが、初めは、慣れていないこともあり消極的な姿勢でした。それが、オンラインで参加者を募ると12名の定員に対し、1,000名以上の応募があったのです。このことで胡さん自身に彼の商品の価値や職人文化の大切さをわかっていただけました」とAlさんは語る。以後、胡さんは定期的にワークショップを開催しており、多くの若者に香港独自の文化を継承し続けている。スクリーンショット (2115)スクリーンショット (2116)スクリーンショット (2124)スクリーンショット (2123)

新しい形で循環させていく
Alさんは同社の今後の目標を「香港の伝統的な文化を、NFTやメタバース(3次元の仮想空間)などの新しいデジタルな手法でプロモーションしていくこと」と話す。親会社Fimmickの技術を使い、若者へ香港文化を伝え循環させていく。また、香港の文化を海外へ発信する一方、海外文化を香港へ紹介するプラットフォーム造りも構想中だ。今現在は、同社のオンラインサイトで香港ならではの商品が多数販売されている。日本からのオーダーも可能(国際発送OK)なので、帰国後も香港をなつかしく感じたら発注してみよう。昔ながらの伝統工芸には、職人やそれを囲むたくさんの人の想いやストーリーが隠されている。なくしてはいけないもの、受け継がねばならないものを次世代へバトンタッチしていく同社の今後の活動に注目したい。スクリーンショット (2118)スクリーンショット (2117)スクリーンショット (2126)スクリーンショット (2127)

スクリーンショット (2128)Eldage(傅耆)
www.eldage.com
FB:www.facebook.com/EldageHK

 

 


香港のお土産といえばこれ
ミニバスサインを作り続けて40年

麥錦生さん

麥錦生さん

時は1973年、当時15歳の青年が看板などを作る広告会社に弟子入りするところから、彼の堅実な職人人生が始まった。後に、香港でミニバスサインを作る唯一の職人として国内外からのメディアでも有名になる麥錦生(以下、Mak)さんだ。
20歳の時に独立後、数年経った1982年のある日のこと、1人のミニバス運転手が店先のMakさんによる手書きの看板に目に留めた。これをきっかけにミニバスシーンの中での需要が次第に高まり、本格的に「ミニバスサイン職人」としてのキャリアをスタートさせることになる。「当時は香港全土で私を含め、10名の職人がいました。しかし、サインを1枚製作するのに15分かかる一方で15ドルにしかなりません。そんな折、ミニバス車内のエアコンカバー製作の依頼も増え、徐々にビジネスが潤っていきました」とMakさんは振り返る。スクリーンショット (2111)スクリーンショット (2109)

黄金期には8,000台のミニバスが走る
1984年当時、政府はミニバスの車種をエアコン搭載のあるトヨタへ変更した。そこでミニバスの運転手は、乗客に高価なエアコンを故障させられては敵わないと、こぞってエアコンカバーをつけるようになったという背景がある。この勢いに乗り、Makさんは展覧会で初めて見たコンピューターを導入し、他の職人に差をつける形で大量生産を成功させる。1988年にはさらに法律が改正され、ミニバスの座席が14席から16席に増席された。「この時期がミニバスの一番の黄金期と言えるでしょう。93年に大型バスにもエアコンが完備されると、ミニバス界に陰りが見え始めました」と当時を惜しむように話してくれた。
そんなMakさんの香港らしい、どこかレトロさを感じさせるデザインは国外の旅行雑誌などにも紹介され、旅行客や香港人の間で人気になり、今でも店舗を訪ねてくる人が後を絶えない。同店舗でも週末はワークショップを行う以外に、先述のEldageでも団体向けに教えている。中でも姓名や香港の地名を書くカスタマイズオーダー品が人気という。スクリーンショット (2107)スクリーンショット (2110)スクリーンショット (2112)スクリーンショット (2114)スクリーンショット (2113)

ミニバスの歴史を残したい
「今でもよく覚えています。2017年、ある日本人女性が同ワークショップのためだけにはるばる飛行機に乗って参加してくれたことがありました。彼女は結婚式の招待状を手書きで書くために、私の手法を学びたいと足を運んでくれたのです。これはとても感動的な出来事でした」そう話すMakさんの瞳はキラキラと輝く。これこそがまさに職人冥利に尽きることなのだろう。そしてこう続ける。「私はもう65歳なので、リタイアしてもおかしくない歳です。しかし、字を書くことは死ぬまで続けたい。ミニバスはいずれ香港から消えてしまうかもしれない(現在香港を運行するミニバスは800台ほど。その内の10%にMakさんのサインが使われている)。私の願いは、若い方々にミニバスサインの歴史や書き方を伝えていくこと」と語ってくれた。「最美的媽媽(一番美しいお母さん)」や「永遠在一起(ずっと一緒)」などメッセージボードを、客1人ひとりのオーダーに愛情を込めて制作する彼の生き様。機械化が進む現代において、こんなにあたたかい贈り物はないだろう。スクリーンショット (2108)

巧佳小巴用品
M/F., 39 Battery St., Jordan
(852)2780-0763
9017-9587(WhatsApp)
ワークショップは週末のみ(要予約)


香港ストリートフードの代名詞
香港製造のこだわりを手放さない

図2香港人にとって、幼い頃のおやつに、学生の時のデートに、大人になって小腹が空いた時に、街角の小さな店で串に刺さった「魚蛋(フィッシュボール)」がいつも生活の中にあった。値段も数十ドルと手頃で、香港中の至る所で気軽にオーダーできる、まさに香港人のソウルフードだ。また、旅行者にとっても、香港へ訪れたら必ず食べるべきローカルフードの代表とも言える「魚蛋」だが、そのヒットの裏側には製造者のただならぬ苦労とさまざまな工夫が隠されていた。図3スクリーンショット (2101)

60年以上の歴史ある「老字號」
香港で「魚蛋」と言えば九記食品廠の名を思い浮かべる人が多いだろう。街中の小店、茶餐廳、学校など400店以上の店舗や団体と提携する、業界トップシェアを誇る会社だ。「魚蛋」だけでも、一日の生産量が、多い時は15万個ほどあるという。提携店の中にはミシュランガイドおすすめの店舗もあり、名実ともに人気のメーカーだ。1960年代の創業から、60年以上の時を越えて今に至るまで、香港に住む人々の胃袋を満たし続けてきた。
89年になると前代の経営者の移住をきっかけに、現在の社長である李元東氏が経営を引き継ぎ、現在、早33年の月日が経過しようとしている。今では同社の顔として、また「メイド・イン・香港(香港製造)」の立役者として、香港メディアなどにクローズアップされることの多い著名人にもなった。スクリーンショット (2119)

同社の「魚蛋」がヒットするわけは?
同社の商品を「他のメーカーと違うところは、すり身の水分量」と李氏が語る通り、魚肉の量を多く、水分量を抑えることで、長時間煮込んでも型くずれしにくく、味も変化しにくいという特長がある。このような点を生かし、上述のように多くの提携店を獲得したことで、「魚蛋」の販売網をさらに拡大、より多くの消費者を得ることにつながった。
また李氏が強調するポイントのひとつに、養殖魚や浅い海に生息する魚を、原材料には一切使用しないというこだわりがある。ホルモンや金属類などの環境物質の影響を受けていない、深海魚のみを使用し、天然の素材と安全性を追求し続けている。これら原料調達から、加工処理、調味、流通の全行程を同社がワンストップで行っているのだ。

原材料の品質は下げたくない
李氏が引き継いでからのものづくりの道のりは平坦なものでは決してなかった。94年以降、香港の国際都市としての発展とは裏腹に、香港近海で採れる魚がますます少なくなったことを受け、原料調達に陰りが見え始めた。李氏は新たなルート開拓のため、活路を見出そうとタイへ乗り込んだが、魚の品質が思わしくなく断念することになる。「どうしても、原材料の品質だけは下げたくない」そんな強い信念のもと、中国へ目を向け、徹底的な原料選びに奔走したという。努力の甲斐もあり、調達ルートは次第に安定し、現在、同社が使用しているのは紅衫や大眼鶏(いずれもタイ科の魚)、牙帯(タチウオ)、笠仔(カサゴ)などを急速冷凍し、香港まで輸送している。スクリーンショット (2103)

今日も待っているお客さんがいる
李氏は90年代をこう振り返る。「香港の物価高騰を受け、多くの工場は海外へとシフトしていきました。特に中国へビジネスを広げるメーカーが多かったですね。しかし、私たちには今日も商品の配達を待っている小店がある。私たちが生産をストップしてしまえば、彼らのビジネスはもとより、香港の人々に香港製造の「魚蛋」を提供できない。香港製造はひとつの信念です。一生懸命に、衛生面に配慮しながら商品を作り続けることで、香港人の支持を得てきました。今もこうしてビジネスを行えるのは、支えてくれた香港の人々のおかげです」。
地道かつ妥協のない「魚蛋」作りはやがて実を結び、2013年になると葵涌に新工場を建設。生産ラインの全オートメーション化に成功し、技術と生産能力をさらに拡大した。2021年には香港の優秀な企業やメーカーに贈られる「香港地品牌大獎」を獲得し、同社創立60周年とも重なり、社史に深く刻まれる歴史的な快挙となった。

業者向けからエンドユーザへのシフトチェンジ
しかし、ここまで順調に拡大を続けていた最中、ビジネスの神様はまた試練を用意していたようだ。2020年前後よりCovid-19による外食規制が始まり、同社の業績にも大きな影響を与えた。外食産業で支えられてきた同社の「魚蛋」は、道端でマスクを外し飲食することを禁止されるような風潮の中では、当然のように売れ行きは激減。売り上げの下降とともに、ひとつまたひとつと提携店の閉業を知らせる電話が鳴り響いた。
「何か手を打たなければ」李氏が必死の思いで新たに開発したのは、メイン商品の「魚蛋」を小分け冷凍し、小売りスーパーへ売り出すことだった。それとともに、家庭でも街中で食べる味を簡単に再現できるようにと、新商品の調味料である「街頭魚蛋醬」を売り出した。この必死の打開策は外食に飢える消費者の心をぐっと掴み、また自炊せざるを得ないコロナ禍の中で重宝されることになった。現在、同社の商品はYATAやUNY、APITAなどの日系スーパーやcity’superやABOUTHAIなどのハイエンドな消費者層に向け販売されている。スクリーンショット (2102) 最後に、香港人なら一度は食べたことがあるであろうロングヒット商品の「招牌魚蛋王」だが、一口含むと滑らかな弾力と、魚の香り高さに驚くだろう。60年以上続く同社の歴史の中で、さまざまな困難を乗り越え、堅実に高品質な香港製造の商品を作り続けてきた。それはもはやソウルフードとしてのみならず、昔ながらの食を後世に伝える役割も担っている。同社の変わらない品質とさらなる飛躍を今後も期待したい。

スクリーンショット (2129)https://kaukeefoodfactory.com

 

 

 


有名人も御用達の店
唯一無二のオーダーメイドレザー

スクリーンショット (2135)オシャレ上級者には必須アイテムとも言えるレザージャケット。さらっと羽織るだけで大人っぽく着こなせ、上品さもかもし出す優秀なアイテムだ。ただ、今回紹介する「Kam Ma」のレザープロダクトは、ただのファッションアイテムだけでなく、職人の努力、技術、歴史が詰め込まれた、文化的価値のあるものだ。そんな「Kam Ma Bespoke Leather Garment(金馬皮衣製作工場)」の魅力にせまろう。
1990年、当時まだ恋人同士のLindaさんとRaymondさんによって設立された同社。現在はTSTのMTR出口N5近く、美麗都大厦13階に小さな作業場を構えている。
43年前、まだあどけなさを残した15歳のLindaさんは見習いとしてレザー工場へ就職、若くして裁縫の道を歩みだすこととなった。しばらくして、違う工場へ転職した彼女だったが、そこには運命の出会いが待っていた。後に彼氏、そして人生やビジネスを共に歩むこととなるRaymondさんだ。
当時の若いカップルは結婚したらどんな家庭を築こうと考えるのが一般的な中、彼らは違った。自分たちの工場を作ろうという強い意志を持ち、二人力を合わせ実現化していく。スクリーンショット (2133) 互いが10代の頃から培った工場での経験を活かし、Lindaさんはレザーの縫製を、そしてRaymondさんはパターンを担当、文字通り二人三脚でレザープロダクトを生み出す正真正銘「香港製造」の仕掛け人となっていく。
決して大きいとは言えない工場で受けるのは、カスタムオーダーのみというこだわりが二人にはある。イタリアやスペインから取り寄せた最上級のレザーを、着る人の身長、体格、好みなどに合わせ、着心地を追求。中華圏のアカデミー賞として注目される金馬賞(2020年度)を受賞した香港映画「手捲煙」の中でも衣装に起用され、一躍注目を集めることになった。その他にも購入者の好レビューが口コミとして広がり、今では有名人も足繁く通う店として不動の人気を誇っている。
30年以上の道のりを振り返り夫婦は語る。スクリーンショット (2132)図4図5 「香港製造にこだわり、カスタムメイドのレザープロダクトを作る工場はもうほとんど残っていません。機械化が進む現在、私たちのものづくりは危機に面してるとも言えます。
しかし、何とかして若い人に参入してもらいたいという思いからワークショップを開催し、人材の育成に努めています。香港製造のマインドをいつまでもこれからを生きる人々に持ち続けてほしいと願っています」。
一生もの、そんな言葉がふさわしい同店の商品。羽織っただけで気持ちがひきしまるそんな一枚をワードローブに加えてみてはいかがだろう。

A4, 13/F., Mirador Mansion, TST
(852)6144-1583(WhatsApp可)
www.kam-ma-leathergarments.com.hk


創立は1958年
心を込めて作るオリジナルの刺繡シューズ

スクリーンショット (2143)パンダ、花、ピーコック柄など、チャイナテイストのかわいい刺繡入りシューズ。香港観光や、日本帰国で香港土産として選びたい定番の商品とも言える。
「Sindart 先達商店」は1958年の創立以来、キュートで洗練された手作りのシューズを作り続けてきた。
一見、モデルかと思わせる素敵な雰囲気を身にまとうMIRUさん、彼女こそが同店の3代目オーナーだ。彼女のお爺さんが商売を始めた当時はネイザンロードに面した路面店だったが、その後現在の佐敦にある商業ビルへ引っ越した。スクリーンショット (2134)スクリーンショット (2138) 幼い頃から、小さな店が彼女の遊び場だった。赤、青、黄色、カラフルな色のシューズに囲まれ、ぶかぶかの売り物の靴を小さな足にひっかけて、よくごっこ遊びをした。そんな少女は高校生になると、自然と靴づくりを学ぶようになる。
「祖父から父へ、そして父から私へ。家業を継いだのは2012年のことでした」と語るMIRUさん。大学へ入学後は違う進路も考えていたが、周りの友人からの商品への評価がよかったこと、家業を手伝う中で独自にあたためていたデザインやブランディングを具現化しようと、意を決して父から引き継いだ。スクリーンショット (2136)スクリーンショット (2142) 「オンラインショップやSNSの普及で、祖父の代よりも、お客様の数は圧倒的に増えました」とMIRUさん。インスタグラムやフェイスブックでは、自身がモデルとなり、シューズを履き街を歩く動画に何千といいね! がついている。祖父や父の先代たちは職人気質だったが、3代目の彼女は職人兼PRを上手にこなしている新しいタイプの経営者と言えるだろう。
そんなMIRUさんに靴づくりの難しさを伺うと「すべて手作りなので、特別なオーダーが入ると何週間か時間がかかることです。しかし、機械には表現できない糸の運び方、縫製の仕方、そしてお客様のリクエストに合わせた靴づくりを誇りとしています」と胸を張って語ってくれた。
現在MIRUさんは、ワークショップや展示会と多忙を極めているが、近い将来、子どもたちに刺繡を教えるスクールを作りたいという夢がある。世界に二つとないオリジナルの刺繡シューズ、香港の思い出にさっそく購入してみてはいかが。スクリーンショット (2137)スクリーンショット (2140)スクリーンショット (2141)

Shop 16-17, 1/F., Bowring Centre, 150-164 Woo Sung St., Jordan
6623-3015
14:00~20:30
IG:miru_sindart1958


オーガニック醤油を作る老舗
77年変わらない品質と信頼

スクリーンショット (2144)上水は古洞に4,500平米の工場を持つ悦和醤園。香港でも数少ない酒蔵併設の醤油製造工場だ。酒蔵で造られた米酒、それを発酵させて造られた米酢、さらにこの酢の成分を醤油造りにも活かし、自社サイクルの中で無駄のないエコなものづくりを実現している。創立は1945年、荃湾にて店舗兼工場を構えていたが、規模の拡大に伴い1973年よりここ上水に工場を移転した。スーパーなどの小売販売は近年始めた分野で、創立からほとんどの歳月は、大家楽、大快活、美心など大手飲食店へ提供販売してきた老舗のメーカーだ。図7図6スクリーンショット (2146) 3代目として27歳という若さで家業を継いだJackさん。大学卒業後は大手ファストフード店でマネージメントに携わっていたが、創立者の祖父が92歳、2代目の父も60歳の歳を迎える年に、先代たちが築き上げてきた醸造業の家業を継ぐことを決意。「もともとは自分で自分の道を切り開こうと就職をしましたが、小さい時から祖父や父が休むことなく働く姿を見てきたこともあり、ものづくりの世界がどのように魅力的なのか確かめたかった」と話す。
工場で製造されている商品には醤油、米酒、米酢のほか、広東地方で広く親しまれてきた「甜醋猪脚薑」も売れ筋商品。同商品は主に産後の女性の回復に良いとされ、また出産というめでたいイベントを祝う縁起のいい贈り物として人気だ。2018年には香港で唯一の有機認証を取得し、非遺伝子組み換え、無汚染水、無化学肥料、無農薬の原料使用を約束、名実ともに品質管理に秀でている。スクリーンショット (2149)スクリーンショット (2147)スクリーンショット (2155) 工場で働く従業員は現在、70名ほど。先代の頃から40年以上勤続する老師傅(中国語の職人の意)が多数いたりと、ベテランの経験によって今日も確かな品質の商品造りが行われている。「弊社では、家族のように従業員同士、仲がいいです。それは祖父の頃から築き上げてきた信頼によると思う。一般的に翌月払いになるお給料も、弊社では必ず当月末に行っています。従業員あっての弊社なので、遅れてはいけないという信念があります」とJackさんは言う。スクリーンショット (2150) 最近のニュース(22年10月現在)では香港政府から、同工場敷地売買の打診も噂されている同社。Jackさんはこれに対し、「まだなんらかのアクションもありませんが、弊社には香港だけでも100店以上の顧客がおり、海外へも数十ヶ国へ輸出しています。そのため生産ラインを今すぐ止めることは必ずしません。祖父が、父が、そして私が引き継いできた品質と、顧客からの信頼をこれからも守り抜いていきます」と胸を張って語る。工場では今日も香ばしい大豆の香りのもと、職人たちの細かな品質管理が続いている。スクリーンショット (2153)スクリーンショット (2154)スクリーンショット (2151)スクリーンショット (2152)

www.yuetwo.hk
店舗
No. 33, G/F., Tsuen Wan Market St., Tsuen Wan
工場
No. 6B, Kwu Tung, Sheung Shui


親思いの青年から生まれたストーリー
世界的ブランドになるまで

スクリーンショット (2095)薬局やコンビニでよく見かける「京都念慈菴」シリーズ。レトロなパッケージが印象的で、歴史を感じさせる正真正銘の「香港製造」ブランドのひとつと言える。多くの香港人が幼い頃、喉が痛い時や咳が出る時など親から与えられ、ほのかに苦く、ほのかに甘いこの味わいに、幼少期をフラッシュバックする思い出の味と言う人もいる。
同社は1945年に香港で設立、その後1961年に台湾でも製造を開始した。今ではマレーシア、シンガポール、中国大陸、日本、フランスなどグローバル展開する大企業となっている。
ビッグブランドの同社だが、始まりは清朝までさかのぼる。古い文献には、当時の順天府(現在の北京)に名を楊謹というとても親孝行の男がいたそうだ。彼は病気がちな母親の病を治そうと、名医と評判の葉天士という医者のもとへ、山を越え、谷を越え、千里の道をはるばる尋ねた。その後故郷に戻った楊は、葉医師から伝授してもらった漢方を朝晩欠かすことなく母親に服用させた結果、母の容体は次第に好転し、しまいには84歳まで長生きしたという伝説がある。後に楊の子孫が北京を拠点に同漢方のビジネスを始めたことで「京都」、また親孝行の青年・楊にちなんで「念慈」という社名が出来上がった。
後に北京から広東、そして香港へ移住した楊の子孫は、先祖から受け継いだ名薬を絶やしてはいけないと当時の薬局大手へ委託し、正式に京都念慈菴總廠有限公司の設立となった。スクリーンショット (2097)スクリーンショット (2094) ロングラン商品の「蜜煉川貝枇杷膏(蜂蜜びわシロップ)」には、十数種類の漢方がブレンドされ、肺の深層まで潤う効能が期待できる。喉が痛む時や咳や淡が出る時以外にも、飲酒過多、睡眠不足、身体のほてりなどさまざまな不調に対する効果もあるんだとか。これらの商品は、金属、農薬、微生物などを検知する厳しい検査をクリアし、国際医薬基準(GMP)に合格しているものだ。
現在ではCMに人気アイドルグループMIRRORを起用するなど、フレッシュなイメージを取り入れブランディングを行っている同社。親孝行の青年のストーリーが、後に多くの香港人にとって幼少期を代表する思い出の医薬品となった。これからの若者世代も、そしてまたその子孫も、末永くこのレトロな商品を受け継いでいってほしい。

www.ninjiom.com

スクリーンショット (2096)スクリーンショット (2098)


香港製造の商品を通して
生産者と消費者をつなぐ

スクリーンショット (2177)今年の2月、香港でコロナ感染者が右肩上がりだったこの時期に、大陸からの野菜を載せたトラックがボーダーで止まってしまった出来事は私たちの記憶にあたらしい。香港市場で売られている野菜の大半は中国をはじめとする輸入品だということが、こんなにも人々の食生活に影響を与えたことはないという数日間だった。そんな折、少しでも安くて安全な野菜をという客が殺到したのが「上水貨舗」だ。スクリーンショット (2161)スクリーンショット (2174)スクリーンショット (2162)スクリーンショット (2164)

20代からいろいろな世界へ飛び出した
2020年に設立、上水と大圍に店舗を持つ同店。一見、お洒落な雑貨屋のようだが、店舗内にディスプレイされている商品のほとんどが香港製造のものだ。起業以来、20名ほどの若いスタッフをリードしてきたのが、今回お話を伺ったオーナーの羅庭輝(以下、Law)さん。1991年に将軍澳に生まれ、大学時代は台湾へ留学した。経歴を伺うと、若い頃から塾講師やホテルのマネジャーなどさまざまな分野を経験し、バイタリティー溢れる人だということがわかる。やがて、クラウドファンディングで培ったネットワークを基盤に、香港でも自然の多い上水でビジネスを始めようと思ったことが同社の原点だ。スクリーンショット (2169)スクリーンショット (2170)スクリーンショット (2171)

スクリーンショット (2163)作り手の思いが伝わる商品ばかり
店内での売れ筋商品は、先述の香港製造の野菜、お土産品、お酒などの飲料が人気。ポストカードなどはもちろん、香港のマンション外壁に使われる色鮮やかでキュートなタイルをモチーフにしたコースター、香港の若手デザイナーが作ったTシャツやエコバッグなどが所狭しと並べられている。
同店ではオリジナルの商品開発にも力を入れている。たとえば、キャラメルやチョコレート味などのポップコーンは、香港人が自宅用またはプレゼント用に気軽に買える商品として人気が高い。また、香港地ビールやリキュールなど豊富な品ぞろえを誇る以外にもユニークなのは、ジンとコーヒーを合わせた遊び心のある「Awake Coffee」なども独自開発して販売している点だ。その他、大圍店では軽食や水果茶(フルーツティー)のイートインコーナーもあり、ゆったりとしたひとときを過ごすことも。スクリーンショット (2156)スクリーンショット (2159)スクリーンショット (2158)スクリーンショット (2157)スクリーンショット (2175) Lawさんは現在のビジネスについて「コロナの影響もあり、様々なプロモーションイベントができない現状ではありますが、ブランディング力の弱い地元ブランドのお手伝いをできることは我々の喜びです」と語る。
そんな同社が提携しているファームの数は10社以上。いずれも上水などの新界にあり、香港とは思えぬ緑豊かな環境下で、元気な野菜を育てている。Lawさんは定期的に提携ファームへ足を運び、生産者と直接会話を交わす。旬の野菜をヒアリングし、また消費者の動向を彼らに伝え、作る側・売る側のコミュニケーションを欠かさない。「生産者と消費者をつなぐプラットホームであり続けたいと思います。ここで作られる野菜がどれだけ新鮮で、タイムラグなく私たちの店舗で販売されているかということを多くの方に知ってもらいたい」と話す。スクリーンショット (2165)スクリーンショット (2166)スクリーンショット (2167)スクリーンショット (2168)

香港がなくしてはいけない文化という宝物
最後にLawさんは弊紙にこう語ってくれた。「今の香港の若者は「香港製造」とは何かよくわからない人もたくさんいます。日本人には日本の醤油が口に合うように、香港人にも慣れ親しんだ味があり、趣やデザインがあります。また、人件費や土地代などコストの高い香港でも、商品の品質を下げることをしないのが香港人のプライド。僕はこのプライドや、今まで継承されてきた文化を店舗やオンラインショップを介して発信し続けたい」。
今後は、規制が少しづつ緩和されつつある香港で、さまざまなイベントやオリジナルラインの商品化も引き続き行う予定だと言う。文化の伝承者として同社の今後の飛躍が楽しみだ。

https://bewatermart.hk
上水店 6 San Hong St., Sheung Shui
大圍店 No.1-3, Chik Sau Ln., Tai Wai

 

香港製造の【クラフトビール】がアツい!

スクリーンショット (2089)

ここ数年、香港のクラフトビール熱が盛り上がっている。スーパーの陳列棚にはクラフトビールが幅をきかせるようになり、街なかにはビール専用バー、いわゆるタップルームがよく見かけられるようになった。お気に入りのブルワリーを見つけてみよう!

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