西環(サイワン)特集1・西環の歴史

2014/06/26

香港島の西端に位置する「西環(サイワン)」地区は、乾物屋街など香港らしい下町の風情とともに、歴史散策が楽しめるスポットだ。旅行ガイドブックにほとんど載ることのなかったこの地区が、MTR「西港島線」の開通に向けて今、大きく変容しつつある。今回の特集では、都市化とソーホー化の波に飲み込まれる一歩前の西環の魅力を紹介しよう。

香港で最初に発展を遂げた街、西環160年の歴史探訪

「西環」のルーツは植民地時代にあり

「西環(サイワン)」は、香港島西部にある3つの街、ケネディタウン(堅尼地城)、サイインプン(西營盤)、セットンチョイ(石塘咀)をまとめた地区名として使われている。西端にある山、マウント・デイヴィス(摩星嶺)は含まないことが多い。「西環」の地区名が誕生したのは、イギリスの植民地時代だった。

香港の植民地時代は、1842年、中国清朝が第一次アヘン戦争に敗北し、イギリスにこの地を割譲したことから始まった。それから60年以内に、カオルーン(九龍)、ニューテリトリー(新界)、そして235の島々もイギリスに割譲された。

植民地となったとき、居住地の中心となったのが現在のセントラル(中環)。その街は当初クイーンズタウンと呼ばれたが、まもなく当時のイギリス女王だったビクトリア女王にちなんで、ビクトリア市と名づけられ、香港の首都としての役割を果たすようになる。

イギリス政府は、1857年にビクトリア市の範囲を拡大し、4つの地区「四環」に分割した。四環は、西環、上環、中環、下環(現在のワンチャイ[湾仔])で、下環を除いた地区では、今も同じ名前が使われている。

一方、「西環」という地名は、狭義には「ケネディタウン」を指すこともある。これは、ケネディタウンにあるトラムやバスの駅が「西環」と呼ばれているためである。

軍艦の艦長名が道路や湾の名前に

歴史の時間をアヘン戦争終結前の1841年に巻き戻そう。1841年、イギリス軍は戦争処理のための川鼻仮条約を盾に取り、香港島への上陸を決行する。そのとき、イギリス軍艦を率いたのがエドワード・ベルチャー艦長だった。上陸したのは、現在のションワン(上環)の水坑口街辺り。ベルチャー艦長は、ビクトリア湾の西の玄関口を守るために山に建設した砲台、そして、そこから見渡せる湾、砲台の下に整備した道路に自分の名前をつけた。西環から見ることができるベルチャー湾(卑路乍湾)、ケネディタウンのメイン通りとなっているベルチャーストリート(卑路乍街)である。

ケネディタウンは、香港で一番早く開発された街となった。香港島北岸の居住区の最西端に位置することから、最初は西環の突き当たりを意味する「西環尾」と呼ばれた。ケネディタウンという街の名前は、香港第7代総督のケネディ(堅尼地)の名前に由来する。彼は積極的に開発を行い、西環の礎を作った。

石切り場、そして、花街として繁栄

1980年には、唯一の花崗岩の石切り場として、ケネディタウンに隣接する地域の開発が進められた。石切り場の完成後、一つの陥没した穴が残されたことや、その地形の形などから、その地はセットンチョイ(石塘咀)と呼ばれるようになった。

1903年にセットンチョイの海沿い埋め立て工事が終わると、街から離れた、寂れた土地の様子は一変する。1904年、香港第13代総督は、ションワンの水坑口街の花街をセットンチョイへ移すと宣言する。それに伴い、多くのレストランなども開店。大勢の人が訪れるようになり、街は大きく発展する。当時の香港の人口は5万人弱だったが、その10分の1がセットンチョイで暮らしていたという。しかし、1935年に香港政府が売春を禁じる法律を制定したため、隆盛を極めた街の賑わいは収束することとなる。

その後、日本が香港を統治をしていた一時期、セットンチョイは「蔵前区」と名付けられたこともある。今、セットンチョイの街を歩いても、当時の面影を探すことは難しくなっている。

ケネディタウンとサウゲイワン(筲箕湾)を結ぶ路面電車のトラムは1904年7月に運行を開始した。1997年に西環と九龍島を結ぶ西区海底トンネルが開通し、その後、海沿いに大型バイパスが建設された。西環にはMTRは通っていないが、将来性を見越して、2000年代に入ると豪華マンション「宝翠園(ベルチャーズ)」も竣工した。

「西港島線」開通に向けて変わる街並み

今年12月にションワンとケネディタウンを結ぶMTR「西港島線」の開通も予定されているが、工事の遅れが指摘されている。しかし、その開通に向けて、今、街は大きく変わりつつある。昨年は正街に西營盤街市とボンハムロード(般咸道)を結ぶ自動エスカレーターが設置された。かつて坂道にワイワイと軒を連ねていた屋台の店は屋内へ。家賃の高騰とオーナーの高齢化等により、茶餐庁や乾物屋などのローカルな店は現代風の店に次々と姿を変えていく。オシャレな西洋スタイルの店が増え、このままソーホー化してしまうのではないかともいわれている。それが歓迎すべきことか否かの判断は難しいが、下町の雰囲気が残る街並みを楽しめるのは、もしかしたら、今がラストチャンスかもしれない。

西環周辺MAP

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