香港で活躍する「ニット青木」ダイレクター、丑久保洋仁さんインタビュー

2016/08/30

日本の技術をアジアに。逆境を乗りる越えた彼女が見据える縫製修理業の未来とは。

ニット青木香港株式会社
ダイレクター
丑久保 洋仁さん
インタビュー

海外進学を親に大反対され、家業を手伝うことに。その後突然、トップ不在で会社の全てを任せられ奔走した1年。そして結婚・出産を経験し、育児をしつつ業務をこなす中での香港進出。そこには不思議と不安はなかったと。だが、苦渋の1年間があったからこそ、香港での3年間の方が成長できたと彼女は語る。香港でニット専門縫製修理業「ニット青木」を確立するに至る背景やこれからの展望について伺った。

 

丑久保洋仁さんニット青木さんの事業内容についてお聞かせください。

弊社は27年前、母が40歳の時にニット専門縫製修理店として起業したものです。創業当時は従業員10名ほどの小さな有限会社でしたが、現在では東京に本社を構えて、関西支店やグループ会社も2社運営しています。そこまで大きいマーケットではないですが、高級ニットのリフォーム、リメイクやスーツのかけはぎなど家庭ではなかなか直せない服に特化しており、インポートブランドのブティックを中心として個人の方からも受注を頂いています。直しの行程は、創業当初から変わらず分業型で、一つのセーターが出来上がるまでに「糸をほどく」「繋げる」「ミシンをかける」など5セクション程に分かれています。経験20年以上のベテランを中心にスタッフを指導しており、担当制ですので効率も良く1日80枚ほど仕上げることが可能です。

では、日本でどのように業務に携わられていたのですか?
丑久保洋仁さん

私は大学卒業後にアルバイトから入社し、営業部署に配属でしたが、2002年の27歳の時に突然社長である母がアメリカに一年間留学することとなり、その後のすべての業務を任されました。母は「トップ不在教育」と申しておりましたが(笑)。それからは基本的に営業回りの後、補修の仕事をするなど、全ての業務を実地で覚えました。他の業界で働いたことが無い私にとってはマネージメントやクレーム対応など、お手本とすべき上司がいないことで非常に苦労しましたね。教わるべきことを本を読んで学んだり、周りからアドバイスをもらうなどして、なんとか成し遂げました。

2006年に31歳で出産のため現場を離れましたが、それまでは外注だった総務・経理を任せられることとなりました。もちろん未経験でしたので、育児をしつつ業務をこなしながらノウハウを頭に叩き込むという独学に励んだ時期でした。そして、3年前の2013年にニット青木香港のダイレクターに就任し、事業展開を行いながら、本社も含めたグループ全体の総務・経理も担当しています。

 

なぜ香港だったのでしょう?

日本本社の社長である母が、香港の服飾ブランドが非常に売れ行きがいいという話を聞き、弊社にも需要があるかもしれないと、香港進出を決めたのです。海外で洋服を直すとなるとリスクがありますし、不安と感じている方は少なくないと思います。他の日系の縫製修理業者は海外進出が難しいという現状の中で、弊社はニット専門として立ち位置を確立し、香港で受注して日本で修理を行っています。当初このシステムは「リスクが大きい」と予想していましたが、取引先から高い技術力を認めて頂いた事と、さらに近年ではアジアの物流事情の向上も弊社にとっては好都合でしたね。

 

丑久保さんは元々、海外に興味お持ちだったそうですね。

学べる指導方法のおかげで、成績が上がったことと、周囲に海外にホームステイする友達が多かったことで、自然と海外に興味を持つようになりました。海外の大学に進学することも考えましたが両親に大反対され、それでもロサンゼルスに交換留学でホームステイしたり、友達が住むニューヨークに数ヶ月滞在するなど、ずっと海外生活に対する興味は尽きませんでした。

 

様々な困難を経験されている中で、ターニングポイントは?

3年前の香港進出の時ですね。海外志向ではありましたが、アジアにあまり関心はなく、香港は一度も訪れたことがありませんでした。しかし、子供たちも小学校入学前で、グローバルな環境で育てたいという気持ちもあって、家族で移り住むいいタイミングでした。それに、私自身がこれまで会社の事業のセクションを全て経験し熟知もしていたので、海外でも対処できる自信がありましたし、不安は感じませんでした。今振り返ると、この香港での3年間が濃密で一番成長できたと実感しています。家庭もあるし、会社全体にも目を配らせないとならない。以前に比べると本当に視野が広がったと感じます。また、さらに日本の企業の在り方を客観的に見ることができ、日本にいると見えない事業においての強みや弱みを本社にフィードバックし続けています。

 

そんなハードワークをご主人がサポートしてくださっているそうですね。

はい。主人は以前、人材派遣会社に長年勤務しており、役職にも就いていたんですが、前々からデザイン関係の趣味を持っており、私はその素質があるのに勿体ないと感じていたんです。そして香港移住を機に前職を退社することとなり、現在では趣味を仕事にして、デザイン業の傍らバックアップしてくれます。私だけでなく彼にとってもターニングポイントだったなと思っています。

 

女性が働く上での香港と日本の環境の違いについてはいかがでしょうか?
丑久保洋仁さん

毎年の恒例行事、車公廟のお参りでスタッフと

全く違いますね。やはり社長業を務める中でヘルパーさんの存在は必要不可欠です。夜の会合など外に出ること多いですし、アジア展開されている企業の社長方とビジネスの話に繋がることもあります。その場でしか話せない貴重なお話を聞くことで、実際の上司ではないですが、人生の先輩方として勝手に学ばせてもらっています。それを可能にしてくれるのは「ヘルパー」という制度が一般的に浸透している香港だからこそと感じています。

日本にいた頃、大企業の第一線で働いていた女性が弊社に面接に来たことがありました。話を聞くと、子育てしながら徒歩で通える会社がココしかなく、今までお腹空かせた子供を一人で夜遅くまで待せている現状だったそうです。もし彼女が香港にいたら、独身時代と変わらず働けるのにもったいないですよね。

 

今後の事業展開についてお聞かせください。

今までは「洋服のお直し屋さん」って古臭いイメージがありましたが、それを刷新するカフェのようなスタイリッシュなコンセプトで展開したいと考えています。つい先日なんですが、25年間ほど取引している某有名ブランドがフランスの服飾ブランドの全体会議で、アフターケアをアピールする目的で弊社を紹介したいという依頼があり、プロフェッショナルで革新的なイメージのプロモーションビデオを作成したところ大変好評でした。また、さらにタイでも縫製修理業を広めたいと考えています。香港で育てられなかった技術者をタイで育てたい、ゆくゆくは香港で受けた仕事をバンコクでやっていきたいと考えてます。本当は香港で服飾全般のサービスも行うつもりでしたが、賃料が高く難しく断念しました。次は、さらなる新たなサービスを提供していく第一歩としてタイで基盤を作り、軌道に乗せてアジア全体に広めていく構想です。

 

多忙な中でどのようにリフレッシュされていますか?
丑久保洋仁さん

趣味で作るクラフトたち

休日は子供や友達家族とバーべーキューをしたり、みんなでキャンプに行ったりと楽しんでいます。あとはクラフトを作って息抜きをしていますね。去年の10月に娘の誕生日会があり、お友達にあげるプレゼントの包装を、もっとおしゃれにしたいと思ったことがきっかけでした。

素材をインターネットで購入して、タグを作ったりラッピングするなど、時には娘と一緒に作って本当に没頭できる趣味になってます。クリスマスカードを作成し、取引先にお渡しして喜ばれたこともありましたね。私にとって「人を笑顔にすること」が仕事への活力となっています。


丑久保 洋仁(うしくぼ ひろみ)さん
大学卒業後、ニット青木株式会社に入社。営業を中心に全部署の業務を行う。3年前に香港進出しニット青木香港株式会社ダイレクターに就任。現在の取引先は有名ブティック店など55店舗ほど。2児の母で、10歳の謙心くん、8歳のねねちゃん。大事にしている言葉は“意志あるところに道は開ける”。


ニット青木香港株式会社
住所:Unit 605, 6/F., Nanyang Plaza, 57 Hung To Rd., Kwun Tong
電話:(852)3153-1480
ウェブ:www.knit-aoki-hk.com

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