香港ダムに命を懸けた日本企業ストーリー4(最終回)

2015/06/01

挑岩戦士 最終回●前回までのあらすじ〜
1960年代初頭の香港はそれまでに類を見ない大渇水に見舞われた。
香港政庁はダムなど貯水施設を建設することを決定し、国際入札に勝ち抜いた日本の建設会社と多くの日本人がこの公共事業に関わり、香港の水不足解消に尽力した。
ダム建設に関わっていた西松建設の機械課長藤沢功氏は不運な死を遂げた。突然藤沢の前から姿を消した麗芬は、藤沢の死を知らずに香港へ戻ってきた麗芬からの手紙を広東語から日本語に訳して藤沢に読んで聞かせた干少葦は華北の貧農の子に生まれ、自分の家からも国からも何一つ貰えずに育った。少年時代に乞食みたいに満州に行って、満鉄の商業学校にタダで入れてもらった。「オレ、日本語や勉強教わって、卒業してからも満鉄の子会社で働いたよ。オレいま一人前になってるの、その基礎になってるもの、全部日本からもらったのよ。」だから日本に恩がある。その恩を麗芬に返すことで日本に返したい。その干少葦の気持ちを受け止めた藤沢は、少葦が麗芬をシンガポールから呼び戻すという考えに同意した。しかし麗芬の境遇には、胸
を引きちぎられるほどの不憫さを覚えるが、自身はいずれは日本に引き揚げねばならぬ身だ。ましてや、麗芬のひたむきな愛を知ってしまった今は、日本人であり社会人である藤沢には、これ以上踏み込むことはできないことであった。
干少葦の手配で、藤沢の殉職のその日に麗芬はシンガポールから帰って来ていた。藤沢の殉職はその日の香港の各夕刊に写真入りの大見出しで扱われていた。しかし麗芬は、その日は新聞を買わなかった。帰着をすぐ干夫妻に報告しようかとも考えたが、若い女性のはにかみもあって明朝に延ばした。だから麗芬は藤沢の死を知らず、再会の楽しみを胸に、その夜は自宅でくつろいだのであった。
お墓の前で手を合わせる女性その間にも悲しみの葬儀は進んでいた。200人を超す現場の中国人が通夜に集まっていた。しかも、彼等は日本から来た弟や息子がホテルに帰った後も去ろうとせず、ついに全員が明け方の4時まで、藤沢の遺体を守っていた。麗芬が藤沢の殉職を知ったのはすでに告別式の始まっていた16日の昼ごろであった。母と士傑との水入らずの昼食をとってから、留守中世話になった干少葦の家にお礼の電話を掛けた。電話に出たのは少葦の細君で、長い間の好意に謝辞を述べようとすると、「それどころではありません。藤沢先生が工事現場で殉職なさって、今九龍殯儀館で告別式の最中です。早く行かないと!」細君はせきこんで言った。麗芬は呆然とした。何が起こったのか、飲み込むことができなかった。しかし九龍殯儀館と言われたことを思い出し、ともかくタクシーに乗りこんだ。殯儀館への道をタクシーが曲がる度に、藤沢の死が次第に実感できるようになってきた(私はあんなに藤沢さんを愛していたのに!)。麗芬の頬を突然に涙が流れた。麗芬の現世での理想は藤澤の第二夫人になることであった。妻子のある藤沢には麗芬を愛しうる状態には社会的に限界があるのだが、一夫多妻の習慣を残す香港では社会的にも制限はなく、なんの心の障害もなかった(でも・・・藤澤さんはもういないのだ・・・)。
打ちひしがれた麗芬が殯儀館に着いたのは、柩が霊柩車に移ろうとする時であった。涙でくしゃくしゃに歪んだ顔を伏せて霊柩車を拝んだ時、西松建設の社員から藤沢が生前こよなく愛した「雪山賛歌」の合唱が沸き起こった。
̶̶山よさよならご機嫌よろしゅうまた来る時にも笑っておくれ
麗芬は、そのメロディーを知っていた。雪山賛歌としてでなく、元歌である「いとしのクレメンタイ」としてであった。
̶̶オーマイダーリン オーマイダーリン
オーマイダーリン クレメンタイン ユーアー
ロスト アンド ゴーン フォーエヴァー
いとしの人は香港の水に消えて、もう永久に帰らない̶̶と、麗芬にとってはまるで自分自身の歌をみんなが合唱してくれているかのようであった。涙もぬぐわずに、麗芬は歌い続けた。
藤沢の葬儀が終わって、西松の現場にはそれまでに無かったほどの全員の親和が見られた。「藤沢君の死を無駄にしてはならない。」「この仕事を完璧にやり遂げることが、藤沢さんの霊をなぐさめる道なのだ。」ほんとうに皆がそう思ったという。好天気が続いて、仕上げ工事は捗った。
藤沢が香港で殉職してから1年が経った12月初旬、東京の産経新聞に勤める藤沢の弟は1通の外国郵便を受け取った。中身は英文で、「私は兄上のご在世中、大変お世話になり、私の生涯を決するような精神的な影響を受けた者である。殉職されてから一周忌を迎えるので、ぜひお墓に参りたい。ご案内いただければ幸いです。」といった内容であった。何麗芬とは何者だろう?弟はあちこちに問い合わせて、香港のダンサーにそんな名前の人が居たように思うと聞いた(ダンサーらしいというが・・・兄の愛人だったのだろうか?それも・・・)。弟は当惑し悩んだ。一周忌の法要の家族や親類の中に異国の女性を連れてゆくのは難儀な仕事というべきであった。しかし弟は決心した。東京にも異国人を愛人に持っている日本女性は多いが、男が死んでから一年も経って、その母国まで墓参りに行くような女性は稀有というべきであろう。そのように誠実な人を、兄が愛人にもったとすれば、その人こそ、自分たち弟妹のために苦労ばかり多くて家族との平安のほかには華やいだものの何一つなかった兄の生涯に、ロマンの花の一輪を挿し添えてくれた人として、自分はむしろ感謝して迎えねばならないだろう・・・と。
家族・親戚に混じって慎ましく法要を終えた麗芬は、一人早目にホテルに引き上げ、翌朝未明に起きた。干少葦に頼んで藤沢の遺品から貰い受けた旧日本陸軍の水筒を取り出し、両手一杯の花束を抱えて、タクシーに乗り込んだ。
ダム
藤沢の墓の前に崩れるように雪に跪いた。「マイダーリン・イサオ。やっと二人きりでお話できますね̶̶。でも、私は・・・あなたとお別れする為に来たのです。」墓石を抱擁するように花を飾った。「さよならフジサワ、もう会えない。」麗芬は水筒を取上げると、栓を抜いて、藤沢の墓石に水を注いだ。
「̶̶これが貴方が命を捧げた、香港の水道の水です。でもその水道も、まるで何百年も昔からあったかのように、いずれ貴方の名前を忘れることでしょう。̶̶私にも忘れさせて下さい。あなたへの悲しい愛情の記憶を断ち切らねば、私は香港の激しい生活を生きられない。」長い黙祷であった。やがて「サヨナラ」と口の中でつぶやくと、麗芬はまだ涙の乾いていない目をしっかり見開いて、確かな足取りで立ち上がった。-完-

 

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