A-1 BAKERY 楊井元伸社長インタビュー

2015/05/07

 

A-1 BAKERY 30年の歩みと、これから
今年香港で創業30周年を迎えるベーカリーショップ「A-1 BAKERY」。日本・大阪で1948年に創業した本社と同様、新鮮で高品質な材料を使い、「より自然でよりおいしく」をモットーに、香港マーケットに合わせて独自の事業を推進してきた。小麦粉は100%日本産の物を使い、添加物は使用していない。水にもこだわり、毎日新鮮で焼き立て、その上、おいしく栄養価が高い商品を提供するという姿勢は、創業当初から一貫している。また、伝統的製法に最新技術を融合するなどし、常に品質向上を目指している同社。1店舗からスタートし、現在はベーカリーショップやカフェ、レストランなど、4月末時点でグループ全体56店舗を展開する。事業の舵を取ってきた楊井元伸社長にお話を伺った。

1985 1号店を開設。でも3年間は四苦八苦
「A-1 BAKERY」は、叔父が本場ドイツで取得した製パン技術をもとに、日本でベーカリーショップやカフェ等を展開し、父が社長を務めていました。1980年代にアジアでの出店を考えていた時、香港で出店しないかというお話をいただきました。
場所はシャーティン(沙田)。300坪の広いスペースで、安価な価格で10年間契約してくれるという好条件。まだ人口は少ない場所でしたが、将来ショッピングセンターがオープンする計画もありました。また、香港はフリータックスで、事業を始める環境も整備されていたので、ここで事業をやることになり、私がそれを担うことになったのです。
香港の1号店では、以前台湾で技術指導をしたときに好評だったパンやケーキを並べましたが、思うように売れませんでした。スペースがあるので、カフェと、ドイツからシェフを招いてドイツビアが楽しめるレストランも併設しましたが閑古鳥。カフェでは、てこ入れのため、香港独自に焼き飯、オムライス、ラーメンなどのサイドメニューも始めました。ラーメンは、日本でシンプルな作り方を学び出したところ大ヒット。でも平日は土・日曜の10分の1しか人が来ないというのが現状でした。
売り上げがなかなか伸びず、3年間は四苦八苦。夜逃げする可能性もないとはいいきれない状態でした。スタッフを半分に減らしたり、レストランはアジアのシェフに変えたり…。苦労をしながらも3年間やれたのは大きかったと思います。3年後からシャーティンの人口も増え、順調に売り上げが伸びていくようになりました。
A1 BAKERY スタッフ


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1987 小さな2号店は夕方になると完売に
1987年にシャーティンのショッピングセンター「シティワン」に2号店をオープン。小さな店なので夕方4時、5時になると完売になりました。
その後91年までの3年間、私は香港を離れて、台北での事業を担当することになったのですが、台北での事業は難しかったですね。場所がよければやり方次第で成功したでしょう。紆余曲折あり、結局台北の店は知人に売却しました。私は再び香港へ。

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1991 ジャスコとの提携による店舗展開がスタート
香港ではタイワイ(大圍)に3号店をオープン。90年代に入ると、高度成長期に入って、売り上げはぐんぐん伸びていきました。しかし、1号店の契約期間が4年後に迫っていました。1号店にはキッチンもあり、工場の役割も担っていました。91年にフォータン(火炭)にベースとなる工場を開設しました。工場ができたことで、店のスペースも有効に使えるようになり、新しい業態のラーメン店なども始めることができました。また店舗展開を進めていかないと事業リスクが高いと考えて、新店舗の場所探しを進めていきました。
そのタイミングで、ジャスコ(現イオン)の会長との出会いがあり、ジャスコへの出店が決まり、91年に初のジャスコ内店舗を開設しました。イオン内での店舗数は今も増えています。

1996 シティスーパー内に高級ベーカリー
新しくオープンする日系スーパー「シティスーパー」にも、店内に出店しないかと声をかけていただきました。タイムズスクエアのシティスーパー内に、高級路線の「バッケンハイム」というブランドを立ち上げ店を1996年に新店舗をオープン。このシティスーパーとのジョイント事業は、発想などとても刺激になりましたし、ブランドイメージのアップにもつながりました。次にハーバーシティに開設した店は、3カ月後ぐらいから売り上げが伸びましたね。反響も大きく、売れなくてもドイツパンや黒パンをガンガン並べて、イメージづくりに力を入れました。結果的にこの事業は、ジョイント事業は、シティスーパーが自社にブランドに切り替える2004、5年まで10年間続くことになったのです。

A1 Bakery city super2004以降日本ブームも追い風に出店を加速

香港での出店が加速したのは、SARSの後、2004年以降になってからです。出店を強化し、シャーティンに第2工場もオープンしました。香港での飲食業の大変さは家賃の値上がりです。キッチンなどの設備投資をして、短期間で出て行かなければいけないのはとても厳しいですよね。

2004年ごろより香港では日本ブームになりました。シティスーパーなどの影響で日本的なサービスも知られるようになってきました。1985年に店をオープンした当時は、スタッフ教育にも苦労しました。スタッフがお客様と喧嘩をしたり、忙しいときレジでおつりを投げつけるように返したり…。説明しても土壌がないので、なかなか理解してもらえませんでしたね。このような経験をする中で、海外では、仕事をマニュアル化し習慣づけていくことも大切だと感じました。店舗や工場での社員教育にも力を入れてきました。

2011 トヨタ生産方式で経営を効率化
2011年に中国でトヨタ系日系商社との合弁会社を立ち上げました。そこで、徹底的にムダを省くトヨタ生産方式「カイゼン」を学び、それを活かして、経営や工場等の効率化を図っていきました。たとえば、工場の合理化では、人気の「もちもちパン」の製造を機械化し、人員は1/7に、製造時間は5時間も短縮することができたのです。
2011年の東日本大震災では、香港の日系企業は風評被害に悩まされました。私たちは日本産の小麦を使用していましたが、2カ月分のストックがありました。その後も、きちんと検査をして国産小麦粉を使用しています。リスクを分散するために、今後、もう一箇所、九州などから小麦粉を調達することも考えていかなければいけないと思っています。

2015 2020年に100店舗を目指して
30年を振り返って思うのは、日本にいたら、こんなふうな事業展開はできなかったということ。香港は即決が求められる市場です。失敗もあったけれど、多くの成功に支えられました。多くの方との出会いにも感謝しています。
5年先の2020年は、100店舗を目指して事業を推進していきたいと思っています。香港はタフなマーケットです。それくらいの気持ちでやっていかないと事業は衰退していってしまうでしょう。これからの事業展開には求められるのはシステム化と強いリーダーシップ。有名シェフとのコラボ企画なども始めていますが、さまざまなアイディアを形にして、事業を推進していきたいと思っています。

楊井元伸A-1 BAKERY CO.,(HK) LTD. Managing Director
楊井元伸(やない もとのぶ)さん
1952年12月1日生まれ。大阪府出身。日本大学理工学部卒業。Hawaii Pacific Universityのビジネススクールで3年就学。1978年同社に入社し、1985年よりA-1 Bakery香港の立ち上げに尽力し現在に至る。

A-1 BAKERY
ウェブ:http://www.a-1bakery.com.hk

 

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