香港ダムに命を懸けた日本企業のストーリー1

2015/01/28

ダム1

1960年代初頭の香港はそれまでに類を見ない大渇水に見舞われた。香港政庁はダムなど貯水施設を建設することを決定し、国際入札を勝ち抜いた日本の建設会社と多くの日本人がこの公共事業に関わり、香港の水不足解消に尽力した。

今号から全3回シリーズでこのダム・水道建設「プロヴァ・コーヴ・スキーム」に参加した日本のゼネコンの壮絶な物語を工事の実態と、それを通じて当時の香港が日本人をどのように見ていたのかを、彼らの姿を通して映る人間模様とともに述懐する。

第1回目の今回は、このプロジェクトの第一期工事である下城門ダム建設に従事した西松建設の機械課長藤沢功氏の周りで起こった事故について振り返る。

1962年の3月落札、5月正式契約しその中旬から着工した西松建設の工事では、事前に早くから申請していた香港政庁からの火薬取り扱いの免許がなかなか下りず、7月になってやっと下りたのだった。その間の2ヶ月は大きな岩盤の取り除きなどの際には、ダイナマイトが無ければツルハシとショベルに頼るしかなく、それは爪で岩を掘るような、腹立たしく非能率な作業であった。

ダム看板

その火薬で事故は起きた。香港ではサイレンの使用は禁じられていたので、発破をかける時はドラを鳴らして付近の者を避難させる。退避完了まで規定の時間をおき、かつ退避が行われたのを確認してまたドラを鳴らして、スイッチを入れるのだが、実は自分たちの自由意志で、避難していない労働者が3人いた。3人の中の1人が岩陰から首を出して覗いた時、阿弥陀にかぶった保安帽の下の額に、爆破された拳大の岩片が直撃した。現場は大騒ぎとなり、藤沢も駆けつけた。現地事情に詳しい伊藤事務長がその時不在であった為、警察への届けは伊藤が帰ってから行って貰う事にして、警察への届けのほうが先かも知れないと思いつつ、「人間の命には代えられない。このままでは出血多量で死んでしまう。ともかく病院へ行こう。」こう判断した藤沢は応急手当の後、ワゴンに重傷者を乗せ九龍の救急病院へ向かった。急いで病室に運び、手術をしてくれると思った期待は、無残に外された。「受付に並んで、順番を待ちなさい。」「しかし・・・重傷なんです。死にかけています。早く手当てをしないと、死にます!」「規則です。並んで下さい。順番を待って下さい。」沙田警察から回って来た伊藤が病院へ駆けつけた時には、診察を受けぬままに、この不幸せな冒険家は病院の玄関で息を引き取った。伊藤は警察から香港の法律では現場保存、警察に報告、現場検証、警察が救急車で病院へ、という手順だと念を押されたと聞いた藤沢が、「・・・なにしろ人間の命にかかわることだから・・・なんとか助けるのが第一だと思って・・・。」と言うと、伊藤は「私もそういって、話したんですよ。すると係りの中年の警察官が、日本仔(ヤップンヂャイ)でもこのごろは、中国人の生命でも大切だと思うのか、と言って・・・。」藤沢は言葉がなかった。「戦争ですか。やはり・・・残っているんですね・・・。」

現場では、政府の立場から工事を監督するコンサルタントのイギリス人現場監督(インスペクター)などが過度と思える安全要求をするので、一応抗議してみると、「契約にそうある」という。調べてみるとその通りで、政庁側は契約書で自分の方に都合のいいように事細かく決めており、日本の会社はそれに留保条項もつけずにサインしているのである。「まあよかろう。まさかの時には腹を割って話し合えば・・・男と男の仕事じゃないか。」とか曖昧なことで始末をつけてきたのである。いわゆる「浪花節」精神でやってきたもので、むしろその曖昧さのなかで、土建屋たちはしこたま甘い汁を吸って来たのである。しかし欧米人相手には、浪花節は1センチも1ミリも通用するものではなかった。

大体、インスペクターというのは規定によると、24時間いつでも現場からの照会に応じ得る態勢になければならないことになっている。彼らの中には明らかに服務規則を犯す者もいた。しかし彼らはその身元について考えてみると、本国では煉瓦工とか大工とかいった人たちで、正規の教育を受けた技術者ではない。特にインテリでもなんでもなく、植民地に出稼ぎに来ているだけなのだ。ある時イギリス人のインスペクターから、そこにある土を3日間で他の場所に移せと命令された。計算してみると1週間は必要な仕事量だったので日数を増やすように申し入れたところ、そのインスペクターは「俺は戦争の時に、香港で日本軍から家を3時間で明け渡せと命令された。銃剣を突きつけられて、俺は仕方なく3時間で立ち退いたぞ。」

発破が見たくて命を落とす現地人作業者を使い、契約を盾に日本人に嫌がらせをするイギリス人インスペクターとやり取りしながら、西松建設も熊谷組も政庁の納期短縮の要求に追われながら工事を進めたのであった。

第二回は2月27日号で掲載予定。

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